「うんざり」の意味とは?
「うんざり」は副詞で、同じことが続いて飽きてしまい、もう嫌で仕方がないという気持ちを表す言葉です。
また、期待外れや予想外のときにがっかりするさまを表すときにも使われます。
「うんざり」の使い方と例文
「うんざり」は「うんざりと」という形で用いる場合もあり、何度も同じことをする人の様子や繰り返される物事などに飽きて、「もう十分だ」とすっかり嫌気がさすようなことをいう時に使います。
たとえば、他人から「うんざりだ」と指摘された場合には、相手が飽きてつくづく嫌になっていることになります。
また、物語の筋、人の話、実際の光景などで何度も同じようなことが続いてくどくて嫌になる、また、代わり映えがしない物事や人物について、つまらなくてがっかりするような気持ちを表す時にも使えます。
「うんざり」を使った例文
- 親からの長々とした愚痴には、正直うんざりとしている。
- あのドラマのシリーズは、台詞回しが長く、同じエピソードの焼き直しばかりでうんざりだ。
- また活動自粛を要請するのか。家の中に籠もるのも、もううんざりだな。
- もう、大雪や大雨が続くのはうんざりだと感じる。
- 職場のうんざりするような同僚と付き合うのは苦労する。
- 彼から「君と付き合うのはうんざりだ」と手ひどく振られた。
「うんざり」の類語
げんなり
「げんなり」の意味は、同じことが続いて飽き、それ以上続くのが嫌になってしまう様子のことです。また、「げんなりと」という形でも使う場合があります。
「うんざり」と似ていますが、「げんなり」の場合は、心や身体が疲れ切って何かをする気力が削がれる様子を表す時にも使います。
【例文】
- 「今日の夕飯もチャーハンとラーメンか、まったくげんなりするよ」と妻に言ったら、「たまには自分で作りなさいよ!」と喧嘩になった。
- 掃いても掃いても海風で落ちてくる松の葉にげんなりとして、海岸の掃除をするのがつくづく嫌になった。
辟易
「辟易」(へきえき)は、不快なことがあって困ること、何度となく繰り返されて嫌になりうんざりすることです。
もともとは相手を恐れて道を変えたことから、立ち退くこと、相手の勢いにたじろぐことなどを表す場合もあります。一方「うんざり」にはそのような意味はありません。
【例文】
- 彼の自慢話には、辟易してしまう。なるべく関わりたくないよ。
- 彼女は遊びに来るといつも長居するので辟易する。
食傷気味
「食傷気味」(しょくしょうぎみ)とは、同じ物事が何度も続いて飽きて嫌になってしまうことです。「うんざり」と似た語ではありますが、「食傷」には、食あたり、もしくは、同じものばかり食べて飽きるといった意味もあります。
【例文】
- また今回のクラシックの特集もピアノソナタか…食傷気味だな。たまには交響曲も聴きたいよ。
- A先生の作品は同じような密室トリックが続いて、ファンも食傷気味だそうだね。
退屈
「退屈」(たいくつ)には、物事に飽きてしまう、同じことばかりで変化がなくつまらないと感じるという意味があり、「うんざり」と同じように使えます。
他に、暇を持て余す、何もすることがないので嫌になるということも表せますが、「うんざり」にはそのような意味は含まれません。
【例文】
- 毎日が出社と帰宅の繰り返しで退屈だ。何かいいことないかな。
- いつも同じルートを使うのも退屈なので、今日は一駅手前で降りて歩いて帰ってみよう。
倦む
「倦む」(う-む)とは、同じような状態が続くなどして、物事に対して嫌になって飽きてしまうことです。他に、くたびれる・疲れるといった意味もあります。
【例文】
- 入社して2年が経つが、同じことの繰り返し。すっかり倦んで、気がつけば転職を考えてしまう。
- あの子は何時間も絵を描き続けているが、好きとはいえよく倦まずにいられるものだ。
飽き飽き/厭き厭き
「飽き飽き」(あきあき)は、もう十分である程に続き、これ以上は嫌だということ、すっかり飽きてしまうことです。「厭き厭き」とも表記します。
【例文】
- もうこの先ずっと受験勉強をやるのは飽き飽きだ。頑張って今年こそは合格しないと!
- 電話でママ友の愚痴を聞くのも飽き飽きだな。SNSでスタンプを押すだけにしたいよね。