方便の意味
『広辞苑』で「方便」を引くと、次のように記載されています。
②目的のために利用する便宜の手段。てだて
①のように、「方便」はもともと仏教用語として用いられている言葉です。それが転じて、現代では広く②のように使われるようになりました。例えば、「嘘も方便」という慣用句はよく耳にしますが、これは、「(嘘は悪いことだが)目的のためなら嘘も時として必要」という意味です。
では、①の意味を見てみましょう。文章中にある、衆生(しゅじょう・しゅうせい)とは、何でしょうか。漢字から大体の見当はつくと思いますが、「生きているもの」という意味です。主に「世のなかの人々」のことを指します。①の意味するところは、簡単に言うと、仏さまが人々に教えを導くために用いる方法のことです。
仏教用語としての「方便」
日ごろ私たちは「方便」を「嘘も方便」のように軽く使ってしまいがちです。ですが、じつはそれとは違って、仏教においてはとても大事な言葉として扱われています。特に法華経という仏教は、「方便」によって説かれている教えとも言えるそうです。では、法華経とはどのような仏教でしょうか。簡単に見てみましょう。
法華経とは
法華経は、西北インドにおいて成立しました。1世紀頃に起きた2大流派の1つである大乗仏教、その代表的な教えが法華経です。
法華経の経典は、インドなどで用いられた古代のサンスクリット語で書かれており、原題は、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』といい、真実のあり方(サッダルマ)、白い蓮華(プンダリーカ)、編まれる糸(スートラ)を意味しています。
中国の翻訳家である鳩摩羅什(くまらじゅう)は、これを『妙法蓮華経』と訳しました。通常は省略して『法華経』と呼ぶことが多く、現代では鳩摩羅什の漢文が広く用いられ、さまざまな日本語訳が出ています。法華経は、創作劇と言われるたとえ話で構成されており、全ての人々の救済を説いている教えです。
中国では智顗(ちぎ)が6世紀頃、法華経を経典とする天台宗をつくりました。日本でも法華経の影響は強く、聖徳太子の記した『法華義疏(ほっけぎしょ)』や、平安時代には最澄が比叡山に天台宗を開いたり、日蓮も法華経の道を歩みました。『銀河鉄道の夜』などの作者である宮沢賢治も、法華経に影響を受けたひとりとしてよく知られています。
法華経の「方便」
「方便」は、サンスクリット語で「ウパーヤ」と言い、到達するという意味があります。法華経の教えは難解なので、私達でも理解しやすいように、たとえ話で構成されています。
たとえ話と言っても、読んでも理解しづらいところもあります。ですが、その中の言葉に奥深い意味が隠されていて、そのお話自体が、読み手に考えさせ、気づかせる「方便」として作られています、ということのようです。
「方便」の使い方
現在「方便」は、それだけで用いられることはほとんどなくなりました。ですが「方便」は、「嘘も方便」のように、慣用句として広く用いられています。「嘘も方便」は、先にも述べましたように、「目的のためなら嘘も時としては必要」ということです。最近では「仕方がない」というニュアンスも加わり、嘘をつく言い訳にも使われてしまうようです。
しかし「方便」は、元々はそのように手軽に使っていい言葉ではなく、仏さまが衆生を救うという至上の目的のために使われた言葉でした。それを踏まえると、「嘘も方便」は嘘をつく言い訳には使わない方がよさそうです。物事を円滑に進めるために、どうしても嘘が必要な場合に、切り札的存在として「嘘も方便」を使うといいですね。