「涵養」の意味
「涵養」は、<かんよう>と読みます。その意味は、「自然に水がしみこむように、徐々に養い育てること」です。「涵」の字が常用外であるため、「かん養」と書かれることもあります。
ここから派生して、「涵養」は「道徳や学問などの物事を、水をしみこませるようにじっくりと教育する」という比喩的な意味でも使用されます。
専門用語としての「涵養」
水文学(すいもんがく:水の循環という立場から地球を研究する学問)においては、「涵養」は、雨水など地表にある水が地下にしみわたって帯水層(たいすいそう)に供給されることを言います。
帯水層とは、簡単に言えば地下水によって満たされた地層のことです。例えば、地下水をくみ上げる井戸の水が枯れにくいのは、(ある程度の広さの)地表から帯水層への涵養が起こり、水が供給され続けるから、と説明することができます。
専門用語としての「涵養」は、「地下へ水がしみこむ」という意味では、一般的な意味における「涵養」と密接に繋がっています。しかし「涵養域」「涵養林」などといった水文学ならではの語彙もありますので、専門用語として用いる際はご注意ください。
「涵」の字について
「涵」(カン)の字は、「さんずい(水)」と「函」(はこ)の字により、函を水で満たすように「ひたす」「水でうるおう」という意味を持っています。さんずい抜きの「函」と同義語的に扱われるため、他に「いれる、もちいる」という意味もあります。
「涵養」の他に「涵」の字を使う熟語には、以下のようなものがあります。
- 涵濡(かんじゅ)…ひたしうるおす。恩恵があまねくいきわたる。
- 涵咀(かんそ)…よくかみこなして味わう。文章の意味をよく味わう。
「涵養」の使い方
「涵養」には、物理的に何か(一定の領域、植物など)を水にひたすという使い方と、知識や思想などを水にたとえて人間にしみこませるという使い方、二つの使い方があります。
どちらの使い方にせよ「養」の字に注目して、時間はかかるが無理なく栄養を与える、その相手の根本的成長を自然に促す、という意味を忘れずに込めましょう。(水文学的な使い方は除く)
ただ何かを水浸しにすることを「涵養」とは言いません。根が水を吸い上げるように、「水が自然としみこむ(のを待つ)」ニュアンスが、「涵養」という言葉の特徴です。
例文
- この土地の畑は乾ききっていて、水を涵養する能力を失っている。ほとんど砂漠も同然だ。
- 森には、降った水をたくわえる涵養機能があり、洪水を起こりにくくしてくれると言われている。
- さびれた田舎町に住んでいた私には、芸術鑑賞などといった文化的素養を涵養する機会がなかった。
- 彼のエネルギッシュな精神は、学生時代のスポーツ経験によって涵養されたものだろう。
- 学問は、ただ知識を授けるものではなく、同時に人間性を涵養するものであるべきだ。
「涵養力」について
「涵養」と合わせて「涵養力」という考え方も覚えておきましょう。これは文字通り「涵養できる力(容量)」のことであり、何らかのものが、ある場所に浸透・定着でき、そのまま持続・循環できる最大の容量・保有量のことを指します。
代表的なのは、「都市の人口涵養力」という表現です。これは、その都市の食糧や、働き口や、公共サービスや、土地の広さなどのさまざまな資源の容量が、どれだけの人間を養えるか(継続して居住できるか、食べていけるか)を表す指標です。
例えば、人口100人の小さな山奥の寒村に、明日から大都会の住民1000万人が引っ越してくるとなっても、土台無理な話です。この時、「その村は1000万人の移住者を涵養する力がない(涵養力がない/涵養できない)」と言えます。