「御意」とは?
「御意」(ぎょい)とは、「意」に尊敬・丁寧などを表す「御」がついた表現です。「御」の字は、「お」「ご」「み」「ぎょ」など多様な読み方がありますが、「御意」の場合は「ぎょい」としか読みませんのでご注意ください。
「意」とは、広く「心、考え、気持ち、意見」などのことですから、「お考え、おこころ、仰(おお)せ、ご命令」が「御意」の基本的な意味です。
さらにここから派生して、「御意の通り」=「(あなたの)お考えの通りにする」という意から、目上の人に対する返事として一言で「御意」と言われることもあります。
「御意」の使い方①:敬意をこめて
「御意」は、目上の人の意見や考え、および指示や命令の内容、あるいはそれを受け取った際の「その通りにします(わかりました)」という返答として用います。
ただし、この「目上の人」というのは、多くは神、国王、殿様、(象徴以前の)天皇、その他自分自身が使えている君主、主人、支配者のような、「その者以外に『御意』を持ちようがない者」を指します。
「御意」とは「意」そのものに対する敬語であるゆえに、「それが誰の意なのか」説明しなくてはわからないようでは、かえって不敬となってしまうのです。そのため、必然的に「誰もがその意を認め、従う敬意」が「御意」にはこもります。
「御意」を持つにふさわしいのは誰か?
具体的に、どのような人間の意を「御意」と呼べるでしょうか?現代日本はひとりひとりが等しい権利を持つ民主主義社会であり、為政者も民衆によって選ばれますから、内閣の責任者である首相レベルの意見でも「御意」とは呼べません。
唯一、国家の象徴である天皇(および皇室)のお考えは「御意」と呼べるかもしれません。しかし現代では天皇はあくまでも象徴として政治にまつわる権能を持ちませんから、「御意」が実効力を持つには(国会などで)「国民の意」を通す必要があります。
このように考えていくと、少なくとも現代日本では、個人の信仰や、特定集団によって神格化されている人物・存在を除き、万人にとっての「御意」を持つに足る人物はいないと言ってよいでしょう。
用例
- 国王の御意にかない、楽器弾きとして王宮に召し上げられることになった。
- 私は神の御意のままに、私利を棄てて困っている人々に奉仕する道を選びました。
- これからどこへ向かうかは、馬車の中のご主人様の御意次第だ。
- (目上の人の命令に対して)「御意。」
「御意」の使い方②:皮肉や滑稽さの演出
「御意」は、これまで解説してきた使い方を承知の上でなら、「わざとオーバーな敬意をこめる皮肉」や「大げさな物言いで笑いを誘う滑稽さ」を醸(かも)し出す目的で使うこともできます。
対象の品位を超えた大げさな敬意表現がかえって不敬(皮肉)になったり、物笑いの種になることは、他の敬語表現でもしばしば見られる作用です。
用例
- あの社長のやり方は明らかに失敗すると思うが、部下の忠告など聞く耳持たないし、この際、御意に従ってやろう。
- FBIから「今後の捜査はこちらが引き継ぐ」と御意がくだった。これまで捜査を進めてきたのは俺たち地元警察なのに。
- (友達のちょっとした頼み事に対して)「御意。」
「御意」の類語表現
「勅旨」
「勅旨」(ちょくし)とは、「天皇の意見」のことであり、転じて天皇に匹敵するような為政者の意見を意味することがあります。
「御意」とは違い、「勅旨」=「(あなたの)勅旨を得ました」という返答の形では使用できませんのでご注意ください。
【例文】
- 時の大将軍は、天皇の勅旨によって任命された。
- ローマ教皇の勅旨によって、市の中心部には大教会が建てられた。
「思し召し」
「思し召し」(おぼしめし)は、「思う」の尊敬語「おぼす」に、さらに尊敬語である「召す」をつけて敬意を強めた語であり、「お考え」「思うこと」を最上級の敬意をもって言い表す言葉です。
「思し召し」の主語となるものは、神、あるいは神と同一視されるような存在に限られます。
【例文】
- 幸せも不幸も、すべては神さまの思し召しです。
- 王が、お前に尋ねたいことがあると思し召しだ。