「去来する」とは
「去来(きょらい)する」とは、「去ることと来ること。行ったり来たりすること」、あるいは、「感情が浮かんだり、消えたりすること」という意味です。
また、使う機会はほとんどありませんが「過去と未来」という意味もあります。なお、仏典にある「去来今(きょらいこん・こらいこん・こらいげん)」という用語は、過去・未来・現在を表しています。
「去来する」の使い方
「去来する」は、「去来」の使い方として最も多い形です。人が過去の記憶などを不意に思い出したときや、(不意に浮かんだ)心情を表現する場合によく使われますが、物事の変化を表現する場合に使われることもあります。
【例文】
- 100歳の誕生日を前に祖父の脳裏には、これまでの人生が走馬灯のように去来したそうだ。
- 離婚することになった二人の胸には、知り合ってからこれまでの様々な思い出が去来した。
- 会社の業績悪化でボーナスが大幅に減らされると聞き、一年前の金額が頭の中に去来して、悲しくなった。
- あと一球で優勝が決まるというとき、選手たちの胸にはこれまでの激しい練習の日々が去来した。
「行ったり来たり」
「去来する」は「行ったり来たり」、つまり「行き来」という意味で使う機会はあまりありません。用いられる場合は、次のように使います。
【例文】
- スクランブル交差点の信号が青に変わると、様々な人間が去来した。
- 彼女は、空を去来する雲をいつまでも眺めていた。
「物事の変化」
「去来する」は、自然現象の移り変わりを表現するときにも使われることがありますが、使用頻度は高くありません。
【例文】
- 潮の満ち引きが、果てることなく去来していた。
- 日々、朝と夜が去来するという当たり前のことに改めて驚いた。
「向井去来」とは
「去来」と聞くと、俳句を趣味にしている人は、「向井去来(むかいきょらい)」を思い浮かべることでしょう。
「向井去来」は、江戸時代の俳諧師(はいかいし)松尾芭蕉(まつおばしょう)の弟子のひとりで、蕉門十哲(しょうもんじってつ:芭蕉の門人の中の代表的な十人)の一人です。
京都・嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、芭蕉の俳風をかたくなに守って、俳句論の書物をまとめるなどして芭蕉の俳風を後世に伝えていました。
「去来する」の類語
「まぶたに浮かぶ」「脳裏に浮かぶ」
「まぶたに浮かぶ」は、「実際に見ているかのようにある情景が浮かぶこと」です。「記憶や心情の浮き沈み」とほぼ同じニュアンスにおいて「去来する」の類語と言えます。「脳裏に浮かぶ」も同様です。
【例文】
- 久しぶりに訪れた母校のテニスコートを見て、高校時代、テニスに明け暮れていた親友の姿がまぶたに浮かんだ。
- 公園で遊んでいる子供たちを見ていると、遠くに住んでいる幼い孫の遊ぶ姿がまぶたに浮ぶ。
- 小説を読んでいるとその情景が脳裏に浮かび、作家の力量を感じた。
- 脳裏に浮かんでは消えるアイデアを、急いでノートに書き留めた。
「彷彿とさせる」
「彷彿(ほうふつ)とさせる」は、「目の前にありありと見える(思い出す)こと」という意味です。「浮かぶ・見える・思い出す」というニュアンスにおいて「去来する」の類語と言えます。
【例文】
- その彫刻は、モデルとなった人物の生きざまを彷彿とさせるほど素晴らしいものだった。
- 京都を訪れたおりは、平安京の昔を彷彿とさせる古い街並みや寺院などに感激した。
- その男の怒った形相は、ゴリラの姿を彷彿とさせた。
「逍遥する」
「逍遥(しょうよう)する」は、「気ままにあちらこちらと、ぶらぶら歩きまわること。そぞろ歩き」のことです。「行ったり来たり」する点で「去来する」の類語に挙げられます。
【例文】
- その女性は、湖の岸辺を当てもなく逍遥していた。
- 国木田独歩の『武蔵野』の美しい自然描写を思い浮かべながら、山野を逍遥した。
- 皇居のお堀端を逍遥していたら、たくさんのランナーとすれ違った。
なお、明治から昭和にかけて活躍した文学者に「坪内逍遥(つぼうちしょうよう)」という人がいます。逍遙は、小説、戯曲、評論、翻訳など、他方面で業績を上げ、シェークスピア全集の完訳などで知られる人物です。