「祝着至極」の意味
「祝着至極」は「しゅうちゃくしごく」と読み、「嬉しいことこの上ない」という意味があります。「祝着」と「至極」2つの熟語が合わさった言葉です。
「祝着」には「喜び祝うこと。満足に思うこと」、「至極」には「この上ないこと。極みをつくすこと」という意味がそれぞれあります。
「祝着至極」の使い方
「祝着至極に存じます」は、時代劇でよく使われる言い回しです。たとえば、自分の身分に合わないほどの褒美を授けられた時や、上役を命じられた時などに、このフレーズが使われるでしょう。
硬い表現であるため、現代で使う場面は限られてくるかもしれませんが、最上級の喜びや感謝の思いを伝えることができます。
例文
- 私の研究に対してここまでの援助をしてくださるとは祝着至極に存じます。
- 技術の足りぬ私に声をかけ仕事を手伝ってくれた先輩には祝着至極、頭があがりません。
- 偉大な先生の研究チームに配属されるなんて祝着至極、涙がとまりません。
「祝着至極」の類語
「恐悦至極」
「恐悦至極(きょうえつしごく)」とは、「謹んで喜ぶこと。他人に喜びをいう時の語」です。「恭悦至極」とも表記されることがあります。
喜びを伝えるという点は「祝着至極」と似ていますが、「恐悦至極」には恐れ多い、という気持ちが含まれます。相手への尊敬の感情が表れた言い回しですね。
この言葉も現代で使用されることは少なく、「先生、恐悦至極に御座います」と言った日には、ぽかんとされてしまう可能性があります。確かに格好は良い言葉ですが、シーン選びには注意しましょう。
「重畳至極」
「重畳至極」は「ちょうじょうしごく」と読み、「この上もなく満足であること。とても好都合なこと」という意味があります。「重畳」は「たたみが重なる」ことを表しています。
たたみは、かつては高級品でした。そのたたみを重ねて使えるということは、大変喜ばしいことだったのです。注意する点としては、「重畳至極」は目上の方が目下に使う言葉であることです。時代劇などでは、殿様や将軍など身分の高い人物が使っています。
「ありがたき幸せ」
「ありがたき幸せ」とは、「滅多にないことに遭遇して幸せであるさま」です。自分の身分や境遇ではまずあり得ない幸運に遭遇し、とても喜んでいる様子は、「祝着至極」と通じる箇所があります。
基本的には、「祝着至極」と同様、目下の者から目上の人に対して用います。この言葉も古風な言い回しですから、使う場面や相手を慎重に見極める必要があるでしょう。
時代劇の古風な言い回し
時代劇では、「祝着至極」のほかにも古風な言い回しが多数あります。ここでは、代表的なフレーズの一部を紹介します。
「忝い」
「忝い」は「かたじけない」と読み、「辱い」と表記することもあります。時代劇ではよく助けに入ってくれた者に対して使ったり、恩賞を受け取る際に使われたりします。
「面目ない・恐れ多い」などの意味があり、古い時代は「忝く存じます」と頭を下げる事もしばしばあったそうです。また「ありがたい」という感謝を述べる時にも「忝い」は使われていました。
この「忝い」は元々、容姿の醜いさまを表す言葉だったとされ、人前にさらすのが「恥ずかしい・みっともない」という意味でした。自分が他人より劣っていることから「恐れ多い」という意味合いで使われるようになり、時代と共に現在の意味になりました。
「猪口才な」
「猪口才(ちょこざい)な」も時代劇では欠かせない言葉で、現在でも多少耳にすることがあります。意味は「さしでがましいこと。生意気なこと」です。
「猪口」という漢字を見ると、お酒を楽しむための「お猪口」を想像する人もいるかもしれませんが、あくまで当て字なので関係はありません。「ちょこ」は「ちょこちょこ動く=小賢しい」というニュアンスで使われています。