「市松模様」とは?
「市松」という言葉を聞いたことはあっても、聞いてすぐに模様が頭に浮かばない方も多いのではないでしょうか?二色の正方形あるいは長方形を、格子状に並べたシンプルな模様が「市松模様」です。
この「市松模様」は、日本古来の伝統的な和柄の中でも有名なもののひとつであり、「いちまつ(もよう)」という読みで古くから親しまれています。昨今では、東京オリンピックのエンブレムに採用されたことで改めて話題となりました。
単に正方形・長方形を交互に並べた模様であり、そこに「市」「松」が存在しないことから、語源に興味を持つ方も多いようです。当記事では、この「市松模様」について、その由来やシンボルとしての意味などを含め、いくつかの特徴をご紹介します。
「市松模様」の語源
現在「市松模様」と呼ばれている模様は、古くは平安自体の絵巻物、果てはなんと古墳時代の埴輪(はにわ)の一部にも存在が確認されており、はるか昔から日本に伝わる伝統的な模様のひとつです。
しかし、その歴史を紐解くと、この模様が現在の「市松模様」という名前で呼ばれるようになったのは、ごく近代であることがわかります。具体的には江戸時代、1741年に歌舞伎役者、「初代・佐野川市松」(さのがわ・いちまつ)が歌舞伎の舞台でこの模様の衣装を身にまとい、大変よい演技をしたことで一躍大人気となり、「市松の模様」として主に女性たちの間で大流行したのがきっかけです。
「市松」とは人の名であり、模様そのものに由来した名前ではなかったわけですね。
それでは、「市松」と呼ばれるようになる前、「市松模様」は何と呼ばれていたのでしょうか?
「市松模様」の旧名とその深い意味
「市松模様」がまだ「市松模様」ではなかった頃、この模様は「霰(あられ)」や「石畳」などと呼ばれていました。
非常にシンプルなこの柄は、まるで途切れることなく遥か先まで続いてゆく石畳になぞらえて、日本では古来より「繁栄」の象徴として古くから愛されてきました。先々までの繁栄を祈って刻まれた「石畳」のこころは、布は勿論、小物や建築に至るまで、そしてそれらを描いた絵巻物の中など、日本のあちこちに見ることが出来ます。
お近くに、古くからの日本のものを扱う資料館や、古い建築物などはありませんか?もしかすると、そこにも想いの籠もった「石畳」が敷かれているかもしれません。
「市松模様」以外の人名を冠する伝統模様
さて、「石畳」を纏った役者「市松」と共に大流行した結果、「市松模様」と呼ばれることになったこの模様ですが、このような、人名由来の伝統模様は「石畳」だけなのでしょうか?
調べてみると、江戸時代の当時、それは特に珍しい流行ではなかったことがわかります。当時の有名歌舞伎役者とは、現代でいうところの国民的トップアイドルのような存在。世の女性たち、また男性たちの憧れの的でした。
そんなトップアイドルが、特に素晴らしい演技をした舞台で着用していた着物の柄、また、その役者の一家、現代でいうところのアイドルグループのシンボルのようにして愛された模様には、流行する過程でやはり、その役者の名前で呼ばれるようになったものがあるようです。
それらは「役者文様」(やくしゃもんよう)と呼ばれ、現代歌舞伎でも目にすることが出来ます。たとえば、市川團十郎家一門・成田屋の「三枡」(みます)、四代目・松本幸四郎(まつもと・こうしろう)縁とされる格子模様「高麗格子」(こうらいごうし)、初代・中村芝翫(なかむら・しかん)縁とされる縞模様「芝翫縞」(しかんじま)、嵐小六(あらし・ころく)縁とされる縞模様「小六染」(ころくぞめ)などが有名でしょう。
「市松模様」と「チェック模様」の違い
ところで、「市松模様」に似たものとして、「チェック模様」を思い浮かべる方も多いかもしれません。この二者は確かに似ていますが、和柄・洋柄であること以外にも違いがあります。
「二色の、正方形または長方形を、互い違いに繋げて配置」したのが「市松模様」です。先の「石畳」を想像してみてください。「市松模様」はあくまで「二色の互い違い」であり、二色は決して交差しません。
一方、一般に「チェック模様」と呼ばれるものは、たとえ二色のみを使ったチェックであったとしても、二色が交差して重なるものがほとんどです。違いを覚えて、使い分けてみましょう!きっと表現の幅が広がるはずです。