「達観」の意味
「達観(たっかん)」には、次のような意味があります。
- 一部に拘泥しないで全体を観察し、真理・道理を見極めること。また何事にも動じない心境に至ること
- 全体を見通すこと。広く見渡すこと
意味の1にある拘泥(こうでい)とは、「こだわること。小さい事に執着して融通がきかないこと」です。つまり「小さなことにとらわれずに、悟りの境地で物事に取り組む」様子を「達観する」と言います。
「達観」の使い方
「達観」は、「時勢を達観する」「人生を達観する」「達観した考え」等の表現で使われ、新聞などでもよく見かけます。
例文
- 私の祖父は人生経験が豊富で達観した考えを持った人物である。
- 齢(よわい)20もいかない青年が人生を達観したなど語るには数十年早いよ。
- 何事にも動じない彼女の姿は若くして達観しているようにも見えた。
- ニュースでの討論は、決まって日本の情勢を達観視した内容になっている。
「達観」の関連語
「達観」の意味に似た言葉として「諦観」と「大観」を、反対の意味の言葉として「固執」をそれぞれ紹介します。
「諦観」
「達観」と似た言葉に「諦観(ていかん)」があります。意味は「入念に見ること。つまびらかにすること。諦めること」です。これだけでは「達観」と似ている要素が少ないですね。実は「諦観」は、仏教用語として読む場合「たいかん」と読みます。
「諦観(たいかん)」の意味は、「明らかに真理を観察すること」です。仏教において「諦める」とは、現在の「途中で投げ出す」というネガティブな意味でなく、「執着心を捨てて1つのことに固執せず全体を見る」ことを指します。
「達観」と「諦観」は、どちらも「真理を観察した上で悟りを開く」という意味を持ち、「小さなことに執着しない」という部分でも似た言葉となります。
「大観」
「大観(たいかん)」には以下のような意味があります。
- 広く全体を見渡すこと。よく見通して大局を判断すること
- 大きな景色。偉大な眺め
- ある分野の事柄が一度に見渡せるようにまとめた書物(洛中洛外図大観、全国弁護士大観など)
「達観」とは、1の意味で似た言葉となります。2つの言葉は、広く見渡すという点で同じと言えます。また「大観」には、「細かいことにとらわれることなく」という前提もつくため、それを含めるとさらに意味合いは近くなります。
ことわざに「達人は大観す」というものがあります。意味は「物の道理に広く深く通じた人は物事を大局な見地から見て、正しい判断を下す事が出来る」です。つまり「大観」も真理や道理と関係のある言葉と言えます。
「固執」
皆さんの多くは「固執」を「こしつ」と読みますよね。勿論正しいのですが、古くは「こしゅう」と読まれていました。今でも辞書によっては「固執⇒こしゅう」と記載されているものがあります。
「固執」には、次のような意味があります。
- 自分の意見などをかたく主張してまげないこと
- 過去の印象や特定の行動などが心の中に残っていてそれが反復出現すること
人は、何かに固執すると周りが見えなくなり、考えや行動が限定されてしまいます。1つの事に拘りを持ち、広い視野が持てなくなるということは、「達観」とは反対の意味になります。
「達観」を英語で
「達観」を英語で表すと「be philosophical」を使うのが一般的でしょう。
【例文】
His unmoved appearance seems to be philosophical of life.(彼の物事に動じない姿は人生を達観しているように思える。)