「実感」の意味
「実感」(じっかん)とは、「実物に接して起こる感じ」や「実際に経験しているかのような生き生きとした感じ」という意味の言葉です。
「実感」の「実」は、「想像・空想ではない」という意味での「現実」や、物事の表層や上辺ではない「実質」(および本質)を指していると捉えましょう。
「実感」の基準は人それぞれ
「実感」がいかなる感覚であるか、言葉のみで万人に通ずる説明を行うことは困難です。身体的な感覚、経験的な感覚、認識論的な感覚など、何に対するどのような感覚が実感をもたらすかは、かなり個人差が大きいからです。
例えば、ある効能がうたわれている健康食品があったとしましょう。他人がすぐにその効能通りの「効果を実感」したからと言って、自分もすぐ同じように「効果を実感」できるとは限りません。
また、同じ例で、もし本人が「効果を実感」しているのであれば、科学的な目で「効果が出ていない」と立証されても、本人の「実感」が消えてなくなるとは限りません。「感覚」は主観を含むものだからです。
「実感」の使い方
「実感」という言葉は、主に「~する」「~が湧く(湧かない)」「~がある(ない)」などの形で、何らかの事物についてそれが「まさにここにある」「ここにあるかのように生き生きと感じられる」というさまを指して使います。
例えば、先に挙げたような「健康食品の効能」や、「幸せ」、「成長」、「筋力トレーニングの成果」といった概念は、感覚に訴えるものが抽象的、あるいは定量的な評価が難しいものであるため、人によっては「実感」が難しいものかもしれません。
比較的「実感」がたやすいものとしては、疲れた身体で湯船につかったときの「気持ちよさ」など、五感に直に訴える感覚が挙げられます。しかし、この例もやはり万人にまったく同じ実感が生じるとは限りません。
「実感」のイメージ
「実感」には多くの場合、「身体的感覚」、「確信を持てる経験」、「満足感(期待通りの結果)」が伴います。
また、逆に「実感がないこと」には、「あるはずのものがない」「実体的な何かを欠いている」という、どこか不安定で浮わついたイメージがつきまとうことがあります
そのため、対象がどうあれ「実感」を求めることは、多くの人間に共通する性質と言えるでしょう。
例文
- 「何不自由ない生活をしているはずなのに、なぜか幸せだという実感がわかないの」と、彼女は親友に相談した。
- 「自分が大人になったと実感したのはいつですか?」というアンケートには、多種多様な回答が寄せられた。
- 景気は上向いていると経済省は言うが、市民生活でそれを実感することは難しい。
- 私が〇〇賞受賞の栄誉を実感したのは、授賞の電話があった時でも、授賞式でトロフィーを受け取った時でもなく、家に帰ったあと、妻にねぎらいの言葉をかけられた時でした。
「物に手を触れて確かめる」は「実感」か?
「実物に接して起こる感じ」が「実感」であるのなら、例えば目の前にある物体(石など)に手を触れれば誰でも「石に触れている実感」が得られるのでは、と考えた方もいらっしゃるかもしれません。
もちろんそのような「実感」の説明も可能です。しかし哲学では、人間の認識の中には「物自体(石)」は存在せず、「物が作り出す現象」があるだけという考え方があります。この場合、「物に触れる」という事実自体が少々あやしくなります。
例えば、「石に触れているのを感じる」のは何者でしょうか。それは指先の皮膚であり、神経であり、神経伝達物質であり、突き詰めると脳内の化学現象です。我々は「脳内の化学的変化を(その分子の動きを)実感」していると言えるのでしょうか?
このように考えていくと、「直接、物に手を触れて確かめること」は必ずしも「実感」ではありません。あくまでも「そのように生き生きと感じること」が「実感」なのです。
「実感」の関連語
「体感」
「体感」(たいかん)とは、「身体に受ける感じ」という意味の言葉です。身体的経験をもって何かを感じる、という意味が「実感」と似ていますね。
ただし、「体感」も主観に基づく感覚ですので、人それぞれで感じ方に幅があるという点はご留意ください。
【例文】
- 売上の数字には表れていないが、体感ではお客さんは増えている。
- 実際に体感してみないと、その塾が自分に合うかどうかはわからないものだ。