「捨てる神あれば拾う神あり」とは?
「捨てる神あれば拾う神あり」の意味
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、「一方で見捨てられても、他方で救いの手が差し伸べられることがある」ということを意味することわざです。
つまり、世間は広く、様々な人間がいるので、冷たく自分を見限って相手にしてくれない人もいれば、優しく手を差し伸べてくれる人もいるという教訓です。
「捨てる神あれば助ける神あり」「捨てる神あれば引き上げる神あり」「寝せる神あれば起こす神あり」といった表現もあります。
「捨てる神あれば拾う神あり」の「神」とは
ここでの「神」は「八百万(やおよろず)の神」のこと。八百万の神とは、「数多くの神、すべての神」のことです。日本では、古来より森羅万象(しんらばんしょう)に神が存在しているという観念があり、数え切れないほどの神がいると信じられています。
なお、文献上、「八百万の神」という言葉が見られるのは『古事記』が最初です。また、森羅万象は、この世のあらゆる事物や現象のことです。
「捨てる神あれば拾う神あり」は、日本には八百万の神がいるのだから、困ったことがあってもくよくよすることはないということを表しています。
「捨てる神あれば拾う神あり」の使い方
「捨てる神あれば拾う神あり」は、前向きな表現なので、「助けてくれる人もいるのだから大丈夫だよ」という風に、人に励ましの言葉として使ったり、あるいは自分の教訓することができます。
【例文】
- 「就職活動で先週面接を受けた会社に落とされてしまったが、捨てる神あれば拾う神ありだから、気持ちを切り替えて頑張ろう。」
- 「あの子に振られたくらいで、そんなに落ち込むことないよ。捨てる神あれば拾う神ありと言うのだから、またいい出会いがきっとあるよ。」
- 「まさに捨てる神あれば拾う神ありで、彼は前の会社をクビになった後、中途入社した会社で成功し、出世することができた。」
- 「仕事を手伝ってくれると約束していた人に裏切られてしまい困っていたが、同僚が協力してくれることになって助かった。捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのことだ。」
「捨てる神あれば拾う神あり」の類語
「渡る世間に鬼はない」
「渡る世間に鬼はない」は、「世の中は無慈悲な人ばかりではなく、困ったときは助けてくれる情け深い人もいる」という意味を持つ言葉です。「鬼はない」とは、無慈悲な人間ばかりではないということを表しており、「鬼はなし」とも言います。
ちなみにドラマのタイトルで知られる『渡る世間は鬼ばかり』という言葉は、「渡る世間に鬼はない」を皮肉にもじって作ったと、ドラマプロデューサーの石井ふく子氏は語っています。
「仏千人、神千人」
「仏千人、神千人(ほとけせんにん、かみせんにん)」とは、「世の中には悪人も大勢いるが、仏や神のような善人も大勢いる」という意味を持つ言葉です。「千人」は、具体的な数字ではなく、「たくさん」ということを表しています。
「月夜半分闇夜半分」
「月夜半分闇夜半分(つきよはんぶんやみよはんぶん)」は、「世の中の良いことと悪いことは半分半分である」という意味です。人生における良い時を「月夜」、悪い時を「闇夜」に例え、悪いことがあったら良いことが、良いことがあったら悪いことが起きることを表しています。
ポジティブに捉えるなら、「悪いことが続いていても、必ず良いこともやってくるから大丈夫だ」ということですね。同様のことわざには、「月夜も十五日、闇夜も十五日」という言葉があります。