「希望的観測」とは?
「希望的観測」(きぼうてきかんそく)とは、対象とする事柄について、明確な根拠や事実よりも自分の希望や願望を優先して、結果や成り行きを推測することです。
「観測」という言葉は、物事を慎重に注意深く観ることによって、その成り行きを予測する、ということを意味します。
ある事柄の結果が「Aになるだろう」、という観測がなされたとしましょう。Aだと予想されるに足る情報がきわめて多い場合、それは確実性の高いものです。通常の観測はこのようなかたちでなされます。
逆に、Aだと推測するに足る情報がさほどないにも関わらず、たんに自分の願望にそうかたちでAを予想する場合、それは「希望的観測」と称されるものです。
「希望的観測」は、対象を注意深く観ていないのですから、本来は「観測」という表現には当てはまりません。だからこそ「希望的バイアスがかかった観測」という皮肉をこめた意味で「希望的」が付加されているのです。
「希望的観測」の使い方
上記の「観測」の定義から判断すれば、「希望的観測」において、状況と願望の隔たりがあまりにも大きな場合、それはもはや「観測」とは言い難く、「妄信」に近いと言えます。
「希望的観測」は、実際の根拠は薄い予想というイメージがある言葉ですから、自身の予想について用いる際にも「希望的観測かもしれないが」などのように、多少の自虐的ニュアンスをもって用いられることが多い言葉です。
他者の言動について使われるときには、ほとんどの場合、「希望的観測にすぎない」などと批判めいたニュアンスの言い回しで用いられます。
「希望的観測」の文例
(教師A)
君は栄光高校に絶対合格するというが、模試で一度も合格ラインに達していないのだから、希望的観測にすぎないな。滑り止めはちゃんと受けなさい。
(B子)
希望的観測と言われるもしれないけど、来春の人事で、大嫌いな鈴木課長は他部署に異動して、大好きな山本課長補佐が後任になると思う。
(保護者C)
先生は、生徒への指導とアンケートを定期的に行えば苛めは根絶できる、とおっしゃいますが、希望的観測ですよ。苛めは影で行われるものです。
「希望的観測」の類語
「楽観的」の意味と使い方
「楽観的」とは、物事の成り行きがうまく進むに違いないと明るい見通しをもつさまを意味する言葉です。つまりは、「希望的観測」をする人は、ほぼ間違いなく「楽観的」な人物だと言えます。
物事がうまくいく、と感じるための情報が数多くある場合は、確実性の高い予想とされますから、「楽観的」な見方とは言いません。「楽観的」は、「希望的観測」と同様に、ゆえなくポジティブな状態を表す言葉です。
(D男)
君は、旅先を直撃すると予報されている台風が、大幅に進路を変えると信じているわけか。なんの根拠もないのに、たいそう楽観的だね。
(E子)
青山にカフェを出そうと思うの。なんの経験もないけれど、場所がよくてお洒落な店舗なら失敗するわけがないというのは、楽観的すぎるかしら?
「楽天的」の意味と使い方
「楽天的」とは、人生やできごとにおいて、明るくのんきに楽観するさま、なにごとも良い方向に考える性質を意味する言葉です。
「希望的観測」は、対象とする事象における楽観性ですが、「楽天的」はおもにその人の性質そのものを意味します。
(F子)
結婚してもしなくても、子供がいてもいなくても、仕事で成功しようがしまいが、生きてさえいれば大成功よ。楽天的だと言われるけれど、自分が幸せなんだから、余計なお世話だわ。
まとめ
「希望的観測」も、「楽観的」「楽天的」であることも、それらによる甘い見通しなどで仕事や他者に迷惑が及ぶのであれば、軌道修正は必要かもしれません。
とはいえ、自己のうちでポジティブな気持ちでいることは、ストレスも少なく心身の健康には良さそうです。幸運をつかまえるためには、むしろ希望的観測をもとに生きた方がいい場合もあるかもしれませんね。