「眼福」とは
「眼福(がんぷく)」とは珍しいものや美しいものを見てよい気分になることです。普段は見られないようなものを見られた幸福感、美しいものを見て悦に浸る様子を表します。
なお、読み方は「がんぷく」であって「がんふく」ではありません。正式な日本語にはまれですが、半濁音を含んでいます。
一時期は時代小説くらいでしか使われない死語だったのですが、近年ではライトノベルや漫画、流行歌に使われるなど知名度を高めています。
「眼福」の使い方
芸術作品
時代小説や近代文学で使われている場合、大抵は骨とう品や美術品を見たことへの満足感を表します。芸術作品を眺めることで得られる高尚な快楽です。
きれいな風景や建物にも使えます。観光名所や世界遺産、歴史的建造物を見た楽しさも「眼福」で表現できる感情です。
【例文】
- まさかフェルメールの『合奏』を目にすることができるとは。眼福とはこのことだ。
- これこそ探し続けていた逸品。眼福でござる。
- 朝焼けが街並みを照らしてゆく景色はまさに眼福の極み。
魅力的な人物
近年よく使われる「眼福」は魅力的な異性を見ることによる楽しさを指すことが多いです。男性なら若い美女を、女性ならイケメンなどを目にした喜びですね。
また、異性として魅力的な人物だけでなく、見ていてほほえましい、自分が嬉しくなるような光景という意味でも使われます。
例えば子供が遊んでいる光景。自分の子供はもちろん恋愛対象ではありえませんが、生きる糧となることはあります。見ていて満足できる、満ち足りた気分になれることも「眼福」です。
【例文】
- どこを見ても水着姿の美女だらけ。このような眼福にあずかるとは、ここは天国か。
- 自分の好みを切り取ったようなベストカップリング。この時ばかりは眼福を喜んだ。
- 孫たちが花畑で遊んでいる。妻も子供たちも幸せそうな、眼福な光景を目の当たりにした。
注意点
「眼福」はその人にとって幸福な光景です。主観的なものであって普遍性はありません。ある男性は若い女性を見て「眼福」と思うかもしれませんが、その女性を嫌う人なら不快感を覚えるわけです。
また、「眼福」は見て満足したというニュアンスが強い言葉です。好事家が骨董品を見て「眼福」した場合、必ずしも自分のものにしたいとは思っていません。見ることができたという幸福で十分という評価です。
「眼福」の類語
目の保養
「眼福」自体はかたい表現で、死語とも言われるほど認知されていない言葉です。砕けた会話文では「目の保養」や「目が幸せ」といいます。これらの言葉はほとんど同じ意味です。
「眼福になる写真」は「目の保養になる写真」、「目が幸せになる写真」と言えます。「恋人の寝顔を見て眼福する」なら「恋人の寝顔を見て目の保養をする」「恋人の寝顔を見ると目が幸せになる」ですね。
見るは法楽
「見るは法楽(ほうらく)」とは、自分の目で色々なものを見られる楽しみを指すことわざです。また、見て楽しむだけであればお金がかからないという意味もあります。
「法楽」は仏教用語で、仏教の教えを信じて守ることによる喜びのことです。そこから、広く楽しみや喜びという意味でも使われています。
「見るは法楽」は「聞くも法楽」と続きます。見る楽しみに加えて聞くことにも楽しさがあるという意味ですね。