「睥睨」とは?
「睥睨」は、〈へいげい〉と読みます。代表的な意味は、「相手や周囲をにらみつけ、威圧して勢いを示すこと。」、「横目でじろりにらむこと。」です。
「睥睨」を正しく読むことができ、その意味を正確に把握している人は少ないのではないでしょうか。現代日本での会話に登場することはまずありませんし、使ってみても、「へいげい?」と首をかしげられてしまうことでしょう。
しかしながら、昭和あたりの小説には頻繁に登場しますし、近年でも、文章では見る機会のある言葉です。知っておくと表現の幅が広がってよいかも知れませんね。
「睥睨」の由来
「睥」という漢字は、身体をかがめて上を覗き見ることを意味します。「睨」は、子供のような目つきで下方からにらみつけることを意味する漢字です。
ともに、斜めや横から見ること、にらむことを表し、この二文字があわさった「睥睨」は、基本的には横目でにらみつけることを意味しています。
むかし、城の上方にある垣根を「睥、睨」」と称しました。垣根や塀、すなわち高い所から敵の様子を覗き窺い、隙あらばと睨む様子が転じ、現在の用法になったということです。
「睥睨」の使い方
由来が「敵の様子を窺う」というものだけに、「睥睨」する人物のイメージは、なんらかの意味でエネルギッシュな人間が主となります。たとえば、権力者や政治家、眼力ある男性や、ボス的存在の女性などが挙げられます。
かよわそうな少女や母性あふれる母親、内気で気弱な男性などに「睥睨する」は似つかわしくありません。また、物理的になにかを見るというだけでなく、世の中の動きなどに注意を払うような意味でも用いることがあります。
- 新入社員の入社式で、社長はにこやかに祝辞をのべていたが、他の役員のスピーチの間には、居並ぶ若者たちの様子を睥睨していた。
- 甲子園に初出場を果たしたた山田学園の鈴木監督は、ベンチの前に立って相手チームの選手たちを睥睨した。
- PTA会長を二期つとめた恵子さんは、時期会長選出のための集会で、立候補をうながす発言をしたあとは、椅子にすわり参加者たちを睥睨していた。
- 国家をひきいる為政者というものは、つねに世間のありようを睥睨し、国民のための政治をなすべきだ。
「睥睨」の類語
「睨みを利かせる」
「睨みを利かせる」(にらみをきかせる)とは、他者になんらかの威圧的な態度を示すことで、勝手な行動をさせないようにする、という意味の言い回しです。
「睥睨」にも、対象を眼光鋭く睨み、その出方を窺うという意味があり、それは相手を威圧しているということも含みます。その意味において、「睨みを利かせる」は「睥睨」の類語といえます。
【文例】沢村学園の柔道部の主将は、県大会を前にして、部員が練習をさぼらないように睨みを利かせている。
「威圧」
「威圧」(いあつ)とは、威勢や権力や強さなどを示すことで、相手を恐れさせ、圧力を加えることです。
眼力による圧力が主となる「睥睨」よりも、「威圧」する態度や行動は多岐にわたりますので、「威圧」のなかに「睥睨」が含まれる、と理解してください。
【文例】ボクシングのタイトルマッチにおける両選手入場のさい、チャンピオンは、鋭い眼光とファイティングポーズで対戦相手を威圧した。
まとめ
社会において、男性性が幅を利かせていた時代は終わりをつげようとしています。上司が部下に威圧的な態度と言葉で叱咤しようものなら、パワハラと認定されるかもしれません。
「睥睨する」という言葉には、眼光鋭いながらも、一歩引いてじっと情勢を眺めるという、一種知的なニュアンスが含まれるのではないでしょうか。
「威圧」よりは、「睥睨」して、相手の出方を見極めるほうが、これからの時代にあった処世術かもしれませんね。