「傅役」とは?
「傅役」の読み方は「もりやく」か「かしずきやく」です。まれですが「もり」や「ふやく」と読むこともあります。
「傅役」とは
「傅役」とはお守り役、身分の高い家に生まれた子供につけられるお世話係や教育係のことです。多くの場合、戦国時代の武将の跡継ぎにつけられた教育係を指します。
将来を担う世継ぎを育てる重要な役職ということで、人生経験豊富なベテランが当てられることが多い役職です。幼いうちは護衛や教育を担当し、成長してからも進退を共にする一蓮托生の関係です。
「傅」には貴人のお世話をする、助けるという意味があります。貴族や天皇家など身分の高い家に生まれた子供を世話する人やその役職に使われます。
日本の皇室において、皇太子の世話役となる「東宮傅(とうぐうふ)」や、中国の皇帝の教育係である「太傅(たいふ)」などがその例です。
「傅役」の使い方
戦国時代の役職
大河ドラマや時代小説の中で使われる場合、そのまま嫡男の教育係を指します。
【例文】
- 平手政秀は織田信長の傅役として有名だ。
- 二人の傅役が付けられることになった。
- 翌年、嫡男(ちゃくなん)の傅役に任命された。
教育係のたとえ
「傅役」は、教育係や後見人のたとえとしても使用されます。幼いころからずっと面倒を見てくれた相手、後見人のことです。また、「傅役」は現代の家庭教師にあたると説明されるように、個人の教育係を指すこともあります。
【例文】
- 入社前から仲の良かった専務は、傅役のような存在だ。
- 社長から息子の傅役、後ろ盾になってほしいと頼まれた。
有名な「傅役」
戦国時代には多くの人が「傅役」という任につきました。歴史好きなら何人も名前を挙げられるでしょう。たとえば伊達政宗の家臣、片倉小十郎も実は「傅役」です。
例を挙げればきりがないので、ここでは代表的な「傅役」を二人だけ紹介しましょう。どちらも「傅役」らしい有名なエピソードを持つ人物です。
平手政秀
「傅役」として最も有名な人物の一人が、平手政秀(ひらてまさひで)です。織田信長が幼少のころに「傅役」として仕えていました。
信長の元服や初陣をつつがなく済ませ、交渉事で活躍します。特に有名なのが織田家と交戦していた斎藤道三との和睦です。道三の娘、濃姫と信長の婚約を取りまとめ、両家を結び付けました。
しかし、彼が「傅役」として知られているのはなんといってもその死をめぐるエピソード故です。若かりし頃の信長と言えば「うつけもの」と呼ばれるような放蕩(ほうとう)三昧。
そんな彼を改心させ、当主としての自覚を持たせるために政秀は自害します。その後、信長は天下統一目前のところまで活躍します。美談として有名な話ですが、真実であるかは未だ疑問のよりのあるエピソードです。
飯富虎昌
「傅役」を理解する助けになる人物をもう一人紹介しましょう。武田信玄に仕えた武将、飯富虎昌(おぶとらまさ)です。
武田信玄の父、武田信虎の代から仕えていた武将で、「甲山の猛虎」という別名があります。様々な戦いで活躍しますが、特に多勢に無勢の状況で勝利したという話が有名です。「赤備え(あかぞなえ)」という騎馬隊の創始者でもあります。
飯富虎昌はまた、信玄の嫡男である武田義信の「傅役」です。親子の間で起きたいさかいが起きた時、謀反を企てたとして粛清されます。詳しいいきさつは不明ですが、政治方針の対立とも義信をかばったためとも言われています。