「怪訝」の読み方
「怪訝」には、二通りの読み方があります。<け-げん>と<かい-が>です。
「けげん=怪訝」と「かいが=怪訝」、その意味するところはほぼ同一なのですが、使い方に一定の差があるため、この記事ではそれぞれの読み方ごとに意味・使い方を解説します。
「怪訝」=けげん
意味
「怪訝」(けげん)とは、「不思議で、合点(がてん)のいかないさま」という意味です。
例えば、不可解な物事に出くわしたり、何を言っているのかわからない人を目の当たりにしたとき、あなたの心には「不思議だな」「怪(あや)しいな」「合点がいかない(納得ができない)ぞ」という気持ちが湧き上がるのではないでしょうか。
そのような「何かを疑い、怪しんでいる様子」が「怪訝」です。文語的な表現であり、日常生活の中で使用されることはほとんどありません。
使い方
「けげん」と読む場合の「怪訝」は、多くの場合、人の表情や態度を指し、「怪訝な顔」「怪訝そうに〇〇する」「怪訝な様子」などの形で用いられます。
誰か・何かを怪しんでいる態度というものは、例え本人にその気がなくても、表情や態度の中に自然に滲みでてくることがあります。それを第三者が捉えて形容する言葉が「怪訝」です。
具体的には、目を見開いてじっと何かを凝視する顔つきや、首をかしげて「本当か?」と眉をひそめるような態度が「怪訝」に当たります。特に「表情」には、他の感情と同様に、怪訝の相も出やすいようです。
例文
- 事件の目撃者が事の成り行きをあわただしく説明するのを、探偵は怪訝(けげん)な顔をして聞いていた。
- 「さっきから適当な返事ばかりして、ちゃんと私の話を聞いているの?」と、彼女は怪訝(けげん)そうに尋ねた。
- 謎はすべて解けたかに思えたが、ただひとり、夫人だけが怪訝(けげん)な様子で夫を見つめていた。
「怪訝」=かいが
意味
「かいが」と読む場合の「怪訝」は、「怪しみ、いぶかること」という意味です。「けげん=怪訝」と非常によく似た意味ですね。
辞書によっては、「かいが=怪訝」の意味を「けげん」と説明しているものもあります。そもそも辞書に載っていない場合もあり、「かいが=怪訝」は現代ではあまり一般的でない言葉であることがうかがえます。
しかし、使い方については「けげん=怪訝」と異なる部分がありますので、念のために押さえておきましょう。
使い方
「怪訝」(かいが)も、「けげん」と同じく、「不思議なこと」「怪しいこと」「合点がいかないこと」に用いる点は共通です。
しかし、「けげん」にはない名詞的なニュアンスがあることが「かいが」の特徴で、「怪しいこと」や「怪しむ気持ちそのもの」を表すという点が異なっています。
「けげん」が怪しい気持ちからにじみ出る表情や態度を指すのに対し、「かいが」はより直接的に「怪しむという気持ちそのもの」を指す、と区別しましょう。
例文
- 彼は君に怪訝(かいが)の念を持っている。
- そのような薄っぺらな説明では、怪訝(かいが)に堪(た)えない(納得ができない)。
- こんな自然現象は初めて見る。なんと怪訝(かいが)な!
誤った用例
以下に示すように、何かを怪しんでいる人の態度や表情について「かいが=怪訝」を用いる表現は誤りです。
- 【誤り】そんな怪訝(かいが)な顔をしないでくれよ。
- 【誤り】大丈夫か?と彼は怪訝(かいが)そうに尋ねた。
人の態度や表情について「怪しんでいる」「いぶかしい」と言いたい場合には、「けげん」と読みましょう。「かいが」と読むのは、「怪しさ」そのものを表す場合に限られます。
「怪訝」の語源
「怪訝」という言葉は、「怪しむ」「訝(いぶか)る」という字から構成されています。そのため、字義もわかりやすいと思われるかもしれませんが、実は「怪訝」は当て字とされています。
「怪訝」の語源とされているのは、仏教用語の「化現(けげん)」です。
「化現」
「化現」とは、「神仏などが姿を変えて(化けて)この世にあらわれること」という意味の言葉です。
神や仏が動物や自然物に形を変えて世に現れ、人を救ったと聞くと、信仰の形はどうあれ、「にわかに信じられない」「本当にそんなことがあるのだろうか」と思われる方がほとんどではないでしょうか。
このような「信じられない」「本当だろうか」という感慨が、「不思議だ」「納得できない」などの意味も得つつ、後に「怪訝」という字を当てられて世に広まったものとされています。
とはいえ、「怪しむ」「訝る」という字の意味も考慮されての当て字のようですので、「怪訝」の字そのものが「化現」の意味とまったく無関係というわけでもないようです。