「吝嗇家」とは?
「吝嗇家」は<りんしょくか>と読み、「過度にもの惜しみする人、けちな人」という意味です。
お金や物品を必要以上に出し惜しむ人のことを「けち」と言うことがありますが、吝嗇家とはまさしく、「けちな人」のことを指しています。
「吝嗇」(りんしょく)に「過度にもの惜しみすること、けち」という意味があり、「暮らし」を意味する「家」を加えて、そのような暮らしをする人のことを「吝嗇家」と呼ぶのです。
読み方について
先にご紹介した通り、「吝嗇家」の正式な読み方は<りんしょくか>です。しかし、以下のような読み方をされる場合もあります。
- けち
- しみったれ
- けちんぼ(けちんぼう)
- しまりや
しかし、これらの読みは、漢字本来の読みとは無関係に意味を読み当てたものあり、正しい読み方ではありませんのでご注意ください。
「吝嗇家」の使い方
「吝嗇家」という言葉は、めったに自分から金品を出さず、わずかな金銭でも見逃さずに懐にため込み、それを出し惜しむような人を指して使います。
「けちな人」の同義語ですが、それをやや文語調にした表現として理解するのがよいでしょう。日常会話の中で用いられる機会はあまり多くありません。
基本的にはネガティブな意味
何をもって「吝嗇家」と言うのかについては、「けち」と同様に客観的な基準はありません。あくまでも主観的判断に基づいて使用される言葉です。
そのため、誰かを「吝嗇家」と呼ぶことは、(多くの人から同意を得られるとしても)自ずと悪口や非難の性格を帯びますのでご注意ください。
単純にお金の管理が合理的である、無駄遣いをしないという程度の出し惜しみでれば、「倹約家」(けんやくか)などの表現を用いたほうが無難です。(※詳しくは後述します)
用例
- 私の兄ときたら、高給取りのくせに、めったに自分の金を出さない吝嗇家だった。
- 童話『花咲かじじい』に登場する欲深い老夫婦のように、物語の世界にはしばしば悪役としての吝嗇家が登場する。
- かの老人はおそろしい吝嗇家で、金を貯めこむことだけを生きがいにしているらしい。
「吝嗇家」の字義解説
「吝」
「吝」の字は、成り立ちは諸説ありますが、「いれずみ」を表す「文」と、「祝詞(のりと)を入れるための器」を表す「口」により、いれずみを入れた術師が死者に祈るさまを表し、「(死者を)惜しむ」意であると考えられています。
「吝(お)しむ」、「吝(しわ)い」、「吝(やぶさ)か」などの多様な読み方がありますが、いずれも何かを惜しむ意味は共通です。また、一文字で「吝(けち)」という読み方もあります。
「彼の実力を認めることに吝かでない」といった慣用表現は今日でも見られますね。これは、「吝か=惜しむ」ことを「でない」と否定することで、「彼の実力を惜しまずに認める」という意を表しています。
「嗇」
「嗇」の字は、「稲」を表す複数の「禾」を倉庫に取り入れるさまを表しており、「取り入れ」「収穫」、そして「出し惜しみする」という意味も表すようになりました。
「嗇」の字を含む熟語には、以下のようなものがあります。
- 嗇夫(しょくふ)…農夫、百姓。
- 嗇用(しょくよう)…けちけちして用いる。
「家」
「家」の字は、よく知られているように人のいる「いえ、すまい」を表します。ここから派生して、「家族」や「(学問などの)流派」などのほか、「くらし、所帯」という意味も含むようになりました。
「冒険家」「探検家」などの「家」は、冒険や探検が暮らしの一部になっていることを意味するわけですね。同様に「吝嗇家」も、吝嗇なさまが生活と一体化していることを指しています。
「吝嗇家」と「倹約家」
「吝嗇家」と意味がよく似ていながら、ニュアンスがまったく異なる言葉として「倹約家」があります。「倹約家」とは、費用を切り詰め、節約をし、無駄づかいをしない人のことです。
「できるだけお金を使わないようにする」という点では、ふたつの言葉は共通しています。しかし、「吝嗇」のほうには「過度に」出し惜しむという意味が含まれており、この点で、あくまでも合理的な目で費用管理を行う「倹約」とは一線を画しています。
一種の美徳とされることもある「倹約家」とは異なり、過度に財産をためこむ「吝嗇家」は、悪徳であるというニュアンスがはっきり際立っていることが特徴です。