「終焉」とは
「終焉」の意味
「終焉(しゅうえん)」は、「余生を静かに過ごすこと・晩年を送ること」「命が終わること・死を迎えること」を表しています。また、「物事の終わり」を表す比喩としても用いられる言葉です。
「終焉」の成り立ち
「終」という漢字は、おわる・おえる・最後・命が尽きる・死ぬという意味です。一方、「焉」には複数の意味がありますが、「終焉」の「焉」は「此れ・此処に」を表しています。
「終焉」は、「終(死ぬ)」+「焉(此処に)」で成り立っていることから、「此処で死ぬ」→「余生を過ごす」「最期を迎える」といった意味になりました。
「終焉」の使い方
「終焉」は文語的な表現で、おもに書き言葉として使われますから、日常会話で用いる機会は少ないでしょう。また、本来の「晩年を送る」「死を迎える」という意味よりも、多く、比喩的な意味で用いられます。
「終焉」の使い方:晩年を送る・死を迎える
「晩年を送る」「死を迎える」という意味の「終焉」は、人に対して用いられる言葉です。
《使用例》
- 医師や家族の様子から、私は病院で終焉を迎えることを覚悟した。
- 祖父は海に近いこの家を終焉の地と定めた。
- 彼女は我が子の早すぎる終焉を深く悲しんだ。
- この作家の終焉の所となった療養所は、現在、資料館として公開されている。
「終焉」の使い方:物事の終わり
比喩的に「物事の終わり」を表す「終焉」は、いつまでも続きそうな物事、いつ終わるかわからない物事に対して使います。例えば、時代・歴史・ブーム、世界・国、政権・体制、人間関係などです。
一方、授業やその日の作業、休暇、旅行などすぐに終わるもの、始まりの時点でいつ終わるかが決まっているものに対しては用いられません。
《使用例》
- こうしてあっけなくバブル時代は終焉した。
- 一連のスキャンダルが彼の華々しいキャリアに終焉をもたらした。
- ブームが終焉したかに見えても、リバイバルブームで復活するものもある。
- マケドニアはアレキサンダー大王の急死ののち、終焉へと向かっていった。
- 日米和親条約締結は日本の鎖国体制の終焉を決定的なものとした。
- 夫婦関係がこのような形で終焉を迎えるとは思いもしなかった。
「終焉」の用例
中谷宇吉郎『露伴先生と神仙道』
世界で初めて人工雪の製作に成功したことで知られる物理学者・中谷宇吉郎は、随筆家でもありました。引用は、幸田露伴の娘・幸田文の随筆『父』について語っている場面です。
ー中谷宇吉郎『露伴先生と神仙道』ー
ここでの「先生」は露伴、「文さん」は文のこと。また、「終焉の人」は、「もうすぐ死を迎える人」を表しています。
伊藤左千夫『紅黄録』
伊藤左千夫は『野菊の墓』の作者としても知られていますね。次は伊藤左千夫による『紅黄録』からの引用です。法事のために娘たちを連れて実家に戻った予(=私)が、父が亡くなった頃のことを思い出して、老いや人生の終わりついて述べている場面です。
ー伊藤左千夫『紅黄録』ー
「人生の終焉」というときの「終焉」は、人生という物事に対して用いられているので、「物事の終わり」という比喩的な用法です。「人生の終焉」は死ぬことを指していますが、人に対して使う「終焉」とは異なる使い方と言えます。
小泉八雲 『石仏』
『石仏』は、小説家・日本民俗学者の小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)の随筆。引用したのは、終焉を西洋ではどう解釈しているかを説明した部分です。
ー小泉八雲 Lafcadio Hearn『石仏(原題:THE STONE BUDDHA)』/訳:林田清明ー
ここでの「その時」は、人類が進化して完全になった時を指します。文中の「終焉」は、「悪」「愚行」に対して用いられています。
「終焉」の類語
「終焉」の類語:晩年を送る・死を迎える
一生の終わりに近い頃を指す「晩年」や、高齢になって一線を退いてからの人生を指す「余生」は、「晩年を送る」という意味の「終焉」の類語と言えます。
また、死にぎわという意味を持つ「今際の際(いまわのきわ)・最期(さいご)・末期(まつご)」などは、「死を迎える」という意味の「終焉」の類語。「臨終」にも死にぎわという意味がありますが、死ぬこと自体を指すこともある言葉です。
なお、「終焉」は、「人生の終わり頃〜死」を表す言葉ですから、直接的に「死・死ぬ」を表す「死亡・逝去」などとはニュアンスが異なります。
「終焉」の類語:物事の終わり
「物事の終わり」という意味の「終焉」の類語になり得るのは、続いていたものが終わること、物事が終わりになること、一番後ろを表す「完結・最後・仕舞い・終結・閉幕」のような言葉です。
また、「人間関係の終焉」であれば、話し合いが物別れに終わることを表す「決裂」、「時代などの終焉」であれば、ある期間が終わることという意味の「明け(あけ)」で言い換えられます。