「狭量」とは
「狭量」の意味
「狭量(きょうりょう)」は、人の気質を表す言葉のひとつ。「一つの考えにとらわれて異なる意見を受け入れられないこと」「人を受け入れる心が狭いこと」「度量が小さいこと」を意味する名詞、形容動詞です。
「狭量」の使い方
「狭量」は「狭量だ」「狭量な○○」または、派生した名詞形の「狭量さ」といったかたちで用いられます。
【使用例】
- 彼女が狭量だと考える人などいるはずもない。彼女は思いやりのある誠実な人だ。
- 他人の頼みは聞かないくせに、自分の要求は押し通すとはなんと狭量な人だ。
- 人の話にまったく耳を貸さない彼の狭量さには、みんな手を焼いている。
「狭量」の類語
ネガティブなイメージの強い「狭量」の類語には、次のような言葉が挙げられます。
- 石頭(いしあたま):融通がきかず、ものわかりが悪いこと。または、そのような人。
- 頑固(がんこ):かたくなで意地っ張りなこと。わからずやで、押しが強いこと。
- 聞く耳を持たない:相手の助言や意見を聞くつもりがない様子。
- 吝臭い(けちくさい):心が狭い。あまりにもこせこせしている。
- 不寛容(ふかんよう):心が狭く、人の言動を受け入れないこと。
- 偏屈(へんくつ):性質がかたくなで、素直でないこと。
あまり上品な言葉ではありませんが、「ケツの穴が小さい」「けちな奴」「ちんけな野郎」なども、狭量であること・狭量な人を表す言い回しです。
「狭量」の対義語
度量が広いことを表す「広量(こうりょう)」は、「狭量」の正反対の言葉で、「度量が大きい・心が広い」という意味です。このほかにも、「狭量」の対義語といえる言葉には次のような言葉があります。
- 寛容(かんよう)
- 雅量(がりょう)
- 懐が深い(ふところがふかい)
- 太っ腹
「狭量」を表すことわざ
「井の中の蛙大海を知らず」
「井の中の蛙大海を知らず」は、井戸の中に住んでいる蛙は、外には広大な海があるのを知らないという意味です。
自分の狭い知識や見聞にこだわって、それがすべてであると思い込んでいること、つまり狭量であることの喩えとして用いられます。
「葦の髄から天井を覗く」
「葦の髄(よしのずい)から天井を覗く(のぞく)」は、葦の茎の細い穴を通して天井を見ても、すべてを見渡すことができないという意味です。
転じて、自分だけの狭い見識で、大きな問題を論じたり、判断することの喩えとして用いられます。上で説明した「井の中の蛙大海を知らず」の類語です。
「狭量」に関する名言
キケロ
ーキケロの言葉ー
マルクス・トゥッリウス・キケロ(紀元前106~紀元前43)は、共和政ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者です。上記の言葉は『義務について』という書物からの引用です。
エレノア・ルーズベルト
凡庸な人たちは、出来事について話し、
狭量な人たちは、人々について話す。
ーアナ・エレノア・ルーズベルトの言葉ー
アナ・エレノア・ルーズベルト(1884〜1962年)は、アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻として知られています。政治家、婦人運動家、文筆家でもあり、アメリカ国連代表などを歴任した人物です。
上記の言葉は、"Great minds discuss ideas; Average minds discuss events; Small minds discuss people."を和訳したもの。原文の"small minds"が「狭量」と訳されています。