「幾星霜」とは?
「幾星霜」は「いくせいそう」と読みます。長い長い年月、無限ではないけれどはるかに長い月日という意味です。
深い感動や想いを伴う、長い歳月を「幾星霜」と呼びます。そこには苦労であれ、恋心であれ、復讐心であれ、なにがしかの感慨や思い入れがあります。いえ、なければなりません。ただ惰性や放埓に任せて過ごした時間はどれだけ長くても「幾星霜」という言葉には値しません。
逆に言えば、日々を「一日千秋」の思いで過ごしているのならたとえそれが数年間の短いものであっても「幾星霜」と呼べるでしょう。心の中で過ぎ去った時間はとても長いのですから。
「幾星霜」の使い方
- 友と袂を分かって幾星霜、よもやこのような形で再開するとは。これも因縁か、それとも運命か。
- 幾星霜の思いを言葉にしようとしても、気持ちは声にならずただ泣きじゃくるばかりであった。
- 幾星霜を経てやってきたこの地を安住の住みかとしよう。
「幾星霜」の由来と成り立ち
「幾星霜」を字義どおりに解釈すると、星の巡ることも霜の降りることも数えきれないと言えます。
「幾」とは
「幾」は数の不明なことを表します。値段を尋ねる時の「いくら」です。そこから転じて、数えきれないほど、言い表せないほどに大きな数となりました。
無限大や無限小とは違い、数が永遠に続いているわけではありません。数えようと思っても、数えきれないほどに大きいという意味です。
「星」とは
「星」は夜空を彩るあの星です。北極星を除いた星々は、毎夜同じ時間に見上げても日ごとに少しずつ移動して見えます。元の位置からどんどん離れていきますが、一年経てば再び元の位置に戻ってきます。
「霜」とは
「霜」は秋の終わりから冬の終わりにかけて地面に降る氷の結晶です。雪国では雪が降り積もるまでのわずかな期間しか見られませんが、毎年必ず訪れます。また、白髪の比喩として長い年月を暗示することも。
「幾星霜」の由来
このように、「星」は一年経てば戻るもの、「霜」は毎年訪れるものと言えます。そこから、年月や歳月という意味で「星霜」という言葉が生まれました。この「星霜」が数えられない程に過ぎていくことが「幾星霜」です。
「幾星霜」の類義語
苔むす
植物の苔(こけ)は原始的な植物です。地表や岩などの表面を覆うように広がっていき、人の手が入っている場所よりは、むしろ長い間なおざりにされてきた場所にこそ生えていきます。言い換えれば、長い時間が経って初めて苔が生えると言えるでしょう。
「苔むす」は苔が生えるだけの長い時間が経ったことを表します。それも手が加えられることなく。長い間同じ状態が続いていた場合に好まれる言葉です。
年輪
「年輪」は樹木の断面にできる円状の輪です。温帯の木々は季節によって成長速度が異なるので、一年ごとに増えていきます。
ここから、一年一年積み重ねていった経験や歴史のことを「年輪」と呼びます。ただの経験よりも、その人の生きてきた歴史そのものに重きを置いた表現です。
「幾星霜」の対義語
瞬く間
「瞬く間(またたくま)」は目が瞬くくらいのわずかな時間です。瞬き一回にどれほどの時間がかかるでしょう。一秒どころではありません。まさに瞬間です。
このため、「瞬く間」は瞬き一回にも満たないほどの時間、つまりはわずかな時間という意味で使われています。
束の間
「束の間(つかのま)」とは一束(ひとつか)くらいの非常に短い時間です。「束」は片手一握り分の長さのこと。握りこぶしをつくればわかるように、親指以外の四本の指を並べた程度の長さとも言えます。
それを長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれです。ただ、ごく短い時間のたとえとして挙げられていいるのは確かです。