「ずんば」とは?
「ずんば」の意味
「ずんば」は、「もし○○○ないならば△△△」という打ち消しの意味の順接仮定条件を表します。
順接仮定条件とは、仮定条件(○○○)に対して、「当然そうなるよね」という結果(△△△)が提示される形のことです。
例えば、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ならば、「もし虎が住んでいる穴に入らないならば、(当然のことながら)虎の子を得られない」という意味になります。
「ずんば」の由来
「ずんば」とは、「ずは」が転じた形で、「ずは」を強調した表現です。「ずは」は、打ち消しの助動詞「ず」の連用形+係助詞「は」で成り立っており、「もし〜なかったら」、あるいは、「〜しないで」という2つの意味があります。しかし、後者の意味は「ずんば」にはありません。
「ずんば」の使い方
「ずんば」は、漢文を訓読するときに用いられていました。現代においては、文語的な言い回しや、慣用句において用いられることがあります。
『青年の天下』/『大隈重信演説談話集』より
下記は『青年の天下』の冒頭の一節です。青年たちに喝を入れる内容で、「(自分が成功出来ないことを他人のせいにしているような人は、)すぐに心を入れ替えて研鑽を積まなければ、暗闇で一生を送るような不幸をみるだろう」と言っています。
速やかに志を改め意気を練るに非ずんば、ついに一生を暗黒の裡うちに終るような不幸を見るであろう。
『家庭料理の話』/北大路魯山人・著
下記は『家庭料理の話』の冒頭で、職業料理人が必ずしも美食家ではないから、一般家庭の方も料理人を買いかぶりすぎてはいけないという苦言の中の一節です。
「美味いものでなければ口にしない」という見識を備えていないというのは、料理人に対する分析です。
美食に非ずんば口にしないというような見識を備えていない。
「ずんば」が含まれることわざなど
「嘉肴ありと雖も食らわずんばその旨きを知らず」
「嘉肴ありと雖も食らわずんばその旨きを知らず(かこうありといえどもくらわずんばそのうまきをしらず)」とは、「何事も自分で体験してみなければ、その価値やすばらしさがわからない」ことの喩えで、中国古典の『礼記』に記されている言葉です。
「嘉肴」は「美味しい料理」のことなので、直訳すると「どんなに美味しい料理も、自分で食べてみなければ、美味しさが分からない」という意味になります。
「平家に非らずんば人に非らず」
「平家に非らずんば人に非らず(へいけにあらずんばひとにあらず)」とは、『平家物語』の有名な一節で、「平家の者でなければ人ではない」という、強大な権力を持っていた平家の人々の驕りを象徴するような言葉です。
なお、「平家に非らずんば〜」は現代語訳された表現で、『平家物語』の原文には「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」と記されています。
「人非人(にんぴにん)」は、「人ではないもの」のほかに「宮中で出世できない人」を指すことがあることから、この原文も「平家でなければ官職につけても出世はできない」と解釈する説があります。
「我に自由を与えよしからずんば死を与えよ」
「我に自由を与えよしからずんば死を与えよ」とは、アメリカ独立運動の際、政治家のパトリック・ヘンリーが行った演説の結びの言葉を和訳したもので、英語の原文では「give me liberty or give me death!」となっています。
バージニア植民地は、イギリスの支配に異議を唱えるニューイングランド地方の運動に参加すべきだと訴えて、「自由が与えられないならば死ぬ気で戦う」という強い決意を表明したこの言葉は、歴史に残る名文句となりました。
「ズンバ(Zumba)」とは?
ラテン系のダンスフィットネスプログラムの一種にも、「ズンバ(Zumba)」の名が冠されています。
とはいえ、「ズンバ(Zumba)」は単なるブランド名で、特定の意味はないそうです。日本では2007年にインストラクター制が導入され、スポーツジムのスタジオレッスンなどでレッスンを受講することができます。
「ズンバ(Zumba)」の目的は、上手に体を動かすことではなく、音楽を楽しみながら踊ることなので、上手い下手は関係ありません。
レッスン中は、音楽を感じてもらえるよう、インストラクターは振付の口頭指導をしませんが、簡単なステップで構成されているので初心者でも踊りやすいため、幅広い層に人気があります。