「シャバ」とは?
「シャバ」の意味
「シャバ」とは、「(軍隊や刑務所や遊郭など)束縛された状態にある人から見た、外の自由な世界」、「一般社会」を表す言葉です。
「シャバ」の由来
「シャバ」の由来は、仏教用語の「娑婆(しゃば)」です。江戸時代は、遊郭を「娑婆」に対する極楽安堵の地と喩えていましたが、遊郭にいる遊女たちから見れば「娑婆」=「自由の世界」だったため、「娑婆」が「普通の人が暮らす世界」を指すようになりました。
「娑婆」とは?
「娑婆」はサンスクリット語(梵語)「sahā(サハー)」の音に漢字を当てて出来た言葉です。「sahā」には「大地」という意味があり、我々が住む仏国土(三千大千世界)の名前でもあります。
「sahā」には、音訳した「娑婆」のほかに、「忍土(にんど)」という意訳語もあります。「忍土」とは、「苦しみを耐え忍ぶ場所」のことです。「娑婆」にせよ、「忍土」にせよ、仏教の世界観においては、私たちが暮らしているこの世の中は、本質的に苦しみを耐え忍ぶ場所であるとされています。
「シャバ」の使い方
- シャバの空気はうまい。
- ようやくシャバの飯にありつける。
- 早く刑期を終えて、シャバに出たい。
- シャバに戻る日が近づいてきた。
「シャバ(娑婆)」から派生した言葉
「シャバい」
「シャバい」とは、1980年代後半から90年代にかけて流行したヤンキー言葉で、「シャバにいる人たち」、「不良ではない普通の人たち」を指しますが、「冴えない」、「ダサい」、「根性がない」、「弱い」というニュアンスを含んでいます。
「シャバ僧」
「シャバ僧(しゃばぞう)」とは、「シャバい小僧」を省略したヤンキー言葉で、「不良ではない普通の人」を表していますが、「不良を気取っているが見せかけだけの人」、「ヘタレ」、「ヤワな人間」を揶揄する言葉でもあります。
「娑婆気/娑婆っ気」
「娑婆気(しゃばけ)」とは、「世間の名誉や利欲から離れられない心」のことを指す言葉で、「娑婆っ気」は「娑婆気」の口語的表現です。
畠中恵・著のファンタジー時代小説『しゃばけ』シリーズは、江戸時代を舞台として、体の弱い若だんな(一太郎)と、一太郎に仕える佐助と仁吉をはじめとした妖(あやかし)達が共に事件を解決する物語です。このタイトルは、おそらく「娑婆気」のことでしょう。
「娑婆臭い」
「娑婆臭い(しゃばくさい)」とは、「世俗的な」、「一般的な」、「普通の」を形容する言葉で、「俗っぽい」、「金などへの執着が強い」ことを揶揄する言葉です。
「娑婆塞ぎ/娑婆塞げ」
「娑婆塞ぎ(しゃばふさぎ)」とは、「穀潰し(ごくつぶし)」、「役立たず」の婉曲表現で、「娑婆塞げ(しゃばふさげ)」とも言います。
「シャバ」の英訳
「シャバ」を英語で表現する場合は、「自由な世界」、「外の世界」などの意訳を用いることができます。
- outside:外界(刑務所などから見た外の世界)
- this world:この世界(刑務所の中などとは異なる世界)
- free world:自由な世界
- present world:現実世界(死後の世界と対比した表現)
仏教用語からできた言葉
「足を洗う」
「足を洗う」とは、「今までの良くない仕事を辞める」、「悪事を止める」という意味です。「足を洗う」は、外を裸足で歩き、家などに上がる際に「足を洗う」ことから生まれた言葉です。一説には、修行僧が裸足で托鉢などに赴き、寺に戻ると汚れた足を洗って仏業を励んだことから、「足を洗う」=「俗世間の煩悩を洗い清める」ことを意味するようになったと言われています。
「図に乗る」
「図に乗る」は、「調子に乗って浮かれている」、「つけあがる」という意味の言葉で、仏教の読経に由来します。
供養や祈願などで、僧侶が教文を唱えることを「声明(しょうみょう)」と言い、「図に乗る」の「図」は声明の調子を変えることで、「図に乗る」とは上手に転調することを指していました。仏教において、「図に乗る」は良い意味ですが、一般には、「調子に乗る」が転じて「つけあがる」という悪い意味で使われるようになりました。
「冥利に尽きる」
「冥利に尽きる(みょうりがつきる)」とは、「立場・状態などによる恩恵があまりに多く、ありがたいと思う」ことを表しています。「冥利」とは、「冥加利益」のことで、「神仏によって知らず知らずに与えられる利益」を意味する言葉です。