道の意味
概要
「道」にはとても多くの意味がありますが、一般的には次のように分けられるでしょう。
- 道路。物理的に人や車が行きかう道路、通路など。
- 経路や距離。目的の場所に着くまでに移動する距離やそのためにかかる時間。
- 道筋、筋道。自分が求めている目的や結果を得るための過程や手段。
- 地方の区切り方。昔の東海道や現在の北海道など。
- 道徳や道理。人として行うべきことや心構え。
- 専門分野や武芸などの一派。剣道など。
- 真理や人生。宗教、哲学用語。
道の宗教的意味
道家
荘子や老子で知られる道家(どうか)の思想におけるキーワードの一つが「道(タオ)」です。万物の根本原理や真理とも呼ばれますが、名前を呼ぶこともできない概念とされています。
道家の始祖、老子の教えは無為自然、自然にしたがって生きることです。何もしないのではなく、自然にしたがって身を任せる生き方です。そういう意味では、「道」は自然そのものともいえるかもしれませんね。
儒教
孔子の教えが元となった儒教でも「道(みち)」は登場します。儒教は道徳教育とその実践で国を理想的に統治することを目指す教えです。
ゴールが理想的な統治なら、その過程(=道)は君子や人々が道徳的になることですね。つまり、儒教において「道」とは人や国家の理想的なあり方です。老子の「道」は従うものという印象でしたが、孔子の「道」はむしろ目指すものといった印象ですね。
仏教
仏教にも「道」という言葉が登場します。しかし、中国発祥の道教や儒教と異なりインド発祥なので意味合いはまるで違います。
仏教の「道」は人々が輪廻転生を繰り返す6つの世界や境遇のことです。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の6つがあり、すべて合わせて「六道」といいます。生き物はこの6つを何度も繰り返し生きていくとされています。ここから抜け出すことが「解脱(げだつ)」です。
道の哲学的意味
道と術
「道」に関してよく取り上げられる話題の一つに「術」との違いがあります。「剣道」と「剣術」、「柔道」と「柔術」のように、「術」と「道」は似て非なる概念といわれます。
「術」は純粋に技術を表し、「道」は精神的な心構えが大きなウェイトを占めるとされています。技術が重視されていた時代には「術」が好まれていましたが、近代では「武士道」よろしく精神論も重んじるようになり、「道」がよく使われるようになったといわれています。
道とは
「道」は日本人に好まれる言葉です。哲学的には人生や生き方という意味合いで使われることがよくあります。
松尾芭蕉は人生と旅にたとえましたが、旅をする時に歩いていくのはまさに「道」です。旅は一人ひとり異なりますが、同じ「道」を通ることはあります。そういった意味では「人生」よりも「生き方」がより適切かもしれませんね。
道の成り立ち
生首説
「道」という字は「首」と「しんにょう」からできています。「しんにょう」は足を表していて、進んでいくことや歩いている場所(=道)に関わります。
そして「首」は、なんと人間の生首を表しているという説があります。異民族の首を道路に埋めて清めていたことを表しているそうです。
旅人説
「道」の成り立ちには別の説があります。「首」は生首ではなく、人間を表しているといいます。「しんにょう」は足に関わることを表しているので、人々が足で踏んでいくところという意味になります。
道の使い方
高村光太郎『道程』
僕の後ろに道はできる
高村光太郎『道程』
日本で飛びぬけて有名な詩、『道程』の一節です。普段は詩を読まない人でもこれはご存知ではないでしょうか。
原作は非常に長く続いていきます。この一節とは異なる印象の言葉が続くので、興味がある方はお読みになってはいかがでしょう?
清沢哲夫『道』
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
清沢哲夫『道』
アントニオ猪木さんが引用したことで知られる有名な詩ですね。座右の銘とされる方も多いそうです。
作者の清沢哲夫さんは大谷大学の先生で、石川県のお寺の住職だったそうです。作中の「道」は仏教の「六道」とはあまり関係なく、生き方の意味のようですね。