「境地」の読み方
まず「境地」は、「きょうち」と読みます。訓読みで「境」は「さかい」と読む字です。「地」は音読みで「じ」とも読みます。
「境地」の意味
「境地」には細かく分け、以下の三つの意味があります。
- その人の置かれている立場
- ある段階に達した心の状態
- 芸術などの、分野や世界
どれも少し曖昧な意味で分かりづらいかと思いますが、「境地」とはこのように、その場所や環境などを表します。
それぞれの字について、「境」の字は区切り目や、範囲内の地などの意味を持っています。一方の「地」には、土地や下地などの意味があります。
「境地」の使い方
「境地」は名詞であり、「境地に~」や「境地を~」などのように使われます。また「諦めの境地」、「無我の境地」、「忘我の境地」などの形で、定型というか、よく使われる表現があります。
境地:立場のこと
【例:厳しい境地に立たされる】
これはそのまま、「厳しい立場に立たされる」と言い換えられます。更に別の言い方をすると、情け容赦がない環境に置かれる、といった感じです。
こうした使い方は自分の立場だけではなく、身辺の事情を含む場合もあります。とりわけこの例文は、自分や周りがピンチ、ヤバイようなニュアンスが伝わるかと思います。
境地:心の状態のこと
【例:悟りの境地に達する】
これは「心が悟りの状態に達する」と言い換えられますが、どちらかと言えば「悟りを開く」や「悟りに至る」の方が適切かもしれません。そして悟りとは、物事の真の意味を知ることや、仏教において永遠の真理を会得することを表します。
境地:分野や世界
【例:音楽で新たな境地を開く】
これは「分野を開く」と「世界を開く」、どちらでも言い換えられます。その人の心境を反映しての変化というか、新しいことに気づく、始めるようなニュアンスです。立場とも心の状態とも、割とニュアンスが違っていますね。
「諦めの境地」とは?
「諦めの境地」とは、その物事に対し、諦めることを考えるような立場を表します。立場なので、「境地」における1の意味ですね。
そして諦めるという言葉には、物事を見極める、真実をよく見るなどの意味があります。そう考えると、上述の悟りに通じるところがあります。
なので「諦めの境地」は、単に見込みがないことや断念することの他にも、「悟りの境地」と似たような意味合いで使われることがあります。
「無我の境地」とは?
「無我(むが)の境地」における「無我」とは、無心であることや我意がないこと、または仏教の思想の一つを表します。ちなみに我意とは、勝手気ままな心や、わがままのことです。
つまり「無我の境地」とは、仏教の思想も関わってくるので曖昧ですが、身勝手な心や、邪念がない状態に達するというようなことです。「境地」の2の意味ですね。
「忘我の境地」とは?
「忘我(ぼうが)の境地」における「忘我」とは、その物事に心を奪われて自分を忘れることや、夢中になることを表します。
つまり「忘我の境地」とは、それに夢中になって自分を忘れる状態に達する、というような意味です。「無我」と似ていますが、少しニュアンスが違っていますね。こちらも「境地」の2の意味です。
「境地」に関連する言葉
「境地」に関連する言葉には、「心境」や「高み」などがあります。
「心境」について
「心境(しんきょう)」とは、そのときの気持ちや、心の状態を表します。心の状態という点は、「境地」における2の意味に入っていますね。たとえば「諦めの境地」は、「諦めの心境」と言い換えられます。
「高み」について
「高み」とは、周囲よりも高い場所のことを表します。ここでの高い場所とは、立場や心の状態、その人の世界なども含みます。つまり「境地」における1と2と3の意味に通じています。
たとえば「組織のトップという高み」でしたら、トップという高い立場を表しています。「悟りという高みに至る」でしたら、心の状態を表しています。
そして「ビアノで未知の高みに上る」の場合、高い立場に上ることを意味する一方で、「ピアノという分野で新たな世界を開く」とも伝わります。