「松の内」の意味と使い方
「松の内」とは、正月の様々な行事を行う期間のことです。この期間には、門松や松飾りを飾っておくことからその名がつけられています。つまり、「”松”を飾っておく”内”(期間)」ということです。そして、松の内の期間が終わることを「松の内が明ける」または「松が明ける」といいます。
「松の内」は、次のように使われます。
- 松の内の間は、鏡餅を飾っておきましょう
- 年賀状は、松の内までに届くように出しましょう
「松の内」の期間
松飾りそのものは、年末のうちから飾ります。しかし、12月から松飾りを飾っていたとしても「松の内」が始まるのは元旦からで、松の内のはじまりが1月1日ということは全国で共通しています。
正月を表す言葉には様々なものがありますが、1月1日のことを「大正月」、1月15日を「小正月」と呼びます。大正月には年神様や祖霊をお迎えする行事を執り行い、小正月には豊作祈願など家庭的な行事が行われました。そのため、古来日本では1月1日から15日までの間を松の内としてきました。
現在は、地域によって松の内の終わりの時期が異なります。関東圏では、江戸幕府による命令の影響があって、七草粥を食べる1月7日までとする地域が多いです。関西圏では小正月の15日までとするところが多い傾向にあります。しかしエリアによっては10日までとしているところもあります。
正月に松を飾る意味とは?
正月には、年神様が各家庭にやってくると信じられてきました。年神様とは、一年間の幸せや豊穣をもたらすとされる神で、正月に高い山から降りてくるとされました。
そして、年神様は、初日の出とともに来訪すると信じられていました。初日の出を拝むようになった本来の意味は、年神様をお迎えすることにルーツがあります。家で年神様をお迎えするために、神様の依り代として松を飾り、供え物として鏡餅を用意したのです。
なぜ正月に松を飾るのか?
神様が宿ると信じられてきた松
昔の人々は、一年中を通して葉が青々と茂っている常緑樹を生命力の象徴としてきました。神社の玉串などでよく見かける榊も常緑樹です。松も同様で、冬の厳しい寒さや雪・霜にもよく耐え、樹齢も長いことから神様が宿る木と信じられてきました。
松は「祀り」につながることや、古来中国においても不老長寿や繁栄などを象徴する木として捉えられてきたこともあり、正月に松を飾る習慣が根づいていったと考えられています。
正月に松を飾る風習は、平安時代から続いている
正月に松を飾ることになったルーツは、平安時代まで遡ります。当時の貴族たちは、正月の最初の子(ね)の日に野山へ出かけて松を根ごと引き抜き、長寿を願う風習「小松引き」を行っていました。また、若菜を摘んで料理に加え、和歌を詠むという宴会を催していました。これが現在の七草粥の起源だと言われています。
松の内は、新しい年のはじまりにあたって神様を迎え、人々の健康や幸せを願う行事が行われる大切な期間として捉えられてきました。そして、その期間を象徴するものとして「門松を飾っている期間」としての「松の内」という言葉が使われているのです。