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「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の意味
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、元来は、熱いものを飲んでも喉元(のどもと)を過ぎると熱さを感じなくなることを言います。
それと同じように、苦しいことや失敗などで身にしみたことも、時が過ぎれば忘れ去ってしまうものだ、という例えとして使われます。
また、苦境の際に恩を受けても、それを乗り越えてしまうとすっかりその恩義を忘れてしまう、という例えとしても使われます。
「喉元」とは
「喉元」とは、喉の胸に近い部分を言います。喉の一番奥の、喉が食道と気管にわかれる辺りの部分です。食道には感覚がないため、熱い食べものや飲みものを口にしても、喉元を過ぎてしまえば熱さを感じることがありません。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例文・用例と使い方
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例文と用例、使い方を見てみましょう。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例文
- 退院してからしばらくは禁煙を続けていたが、体調がよくなり、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、また吸い始めてしまった。
- 先月ひどい二日酔いになったときは、もう二度と深酒はしないと誓ったのだが、またやってしまった。喉元過ぎれば熱さを忘れるだ、と妻にこっぴどく叱られた。
- 部下だったころはあんなによく面倒をみてやったのに、昇進して同等の立場になったら挨拶もしないなんて。喉元過ぎれば熱さを忘れるというのが人間の本性なのかねぇ。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の用例
福沢諭吉『福翁自伝』(1899)
『福翁自伝』の中では、「咽元通れば熱さを忘れる」という異表現が用いられています。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、経験により学習しない者や恩義を忘れた者を批判するニュアンスで使われることがほとんどです。しかし、「熱さを忘れる」ことを自然なことだと受け止め、この用例のように否定的ではないニュアンスで使われる場合も少数ですがあります。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といろはかるた
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、江戸系いろはかるたの定番でした。その絵柄を見てみると、時代によって変化が見られます。
昭和初期頃まで
明治時代や昭和初期頃までは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の絵柄の定番は、烏天狗(からすてんぐ)が大きな器で何かを飲んでいるものが主流でした。その飲み物をよく見てみると、湯気ではなく火柱がたっています。
烏天狗が飲んでいるものは、火に溶けた熱い液体状の鉄でした。これは、ことわざ特有の誇張表現だと考えることができます。
戦後期以降
戦後のいろはかるたでは、烏天狗に代わり子どもなど人間が描かれたものが主流になりました。子どもが、湯気のたった湯呑みから熱い湯を飲もうとしている絵柄などが見られます。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の類語
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」には、「喉(咽)元通れば熱さを忘れる」、「咽越しゃ熱さ忘るる」などの異表現があります。その他、以下のような類似表現があります。
- 病治りて医師忘る
- 雨晴れて笠を忘る
- 魚を得て荃忘る
「喉元通れば熱さを忘れる」の英語表現
- The danger past and God forgotten.(危険が過ぎると神は忘れられる)
- Vows made in storms are forgotten in calms.(嵐の時になされた誓いは、凪の日には忘れられる)
「喉元通れば熱さを忘れる」の諸外国での表現
- 恩知らずで地獄はいっぱい(ベネズエラ)
- 悪いことは覚えられるが、よいことは忘れられる(クロアチア)
- 傷が治ると痛さを忘れる(中国)