「江戸のかたきを長崎で討つ」とは?
「江戸のかたきを長崎で討つ(えどのかたきをながさきでうつ)」とは、次のようなことを言います。
- 筋違いなことなのに、過去の恨みをそこで晴らそうとすること。
- 思いもよらないような場所や機会に、過去の仕返しをすること。
- 自分の恨みとは関係のない相手を使って、気を晴らすこと。
「江戸の敵を長崎で討つ」と、「かたき」が漢字の「敵」で書かれることもあります。また、同じ意味のことわざに「江戸のかたきを駿河で取る」があります。
「江戸のかたきを長崎で討つ」の使い方
- 義母は、自分が嫁の立場だったときにお姑さんにさんざんいじめられたらしいの。だからそれを今の嫁である私をいじめる言い訳にしているようだけれど、それは筋違いよね。「江戸のかたきを長崎で討つ」って、このことだわ。
- きのうね、お兄ちゃんにおやつのプリンを食べられて泣いた太郎が、今日は夕飯の唐揚げをお兄ちゃんの分まで先に食べちゃってね、お兄ちゃんを泣かせたのよ。「江戸のかたきを長崎で討つ」ような行動で、思わず笑っちゃったわ。
- 先日の会議で佐藤君に居眠りを指摘された鈴木君が、今日は佐藤君の作った資料に誤字を見つけて、みんなの前で問いただしていた。鈴木君は「江戸のかたきを長崎で討つ」ことができて満足だったようだが、社内での評判を落とす結果になった。
「江戸のかたきを長崎で討つ」の誤用例
「討つ」の漢字表記について
「江戸のかたきを長崎で討つ」の「討つ」を、「打つ」や「撃つ」とするのは誤りです。「討つ」は相手を攻め滅ぼしたり、刀などで斬り殺したりすることを表す漢字です。
「かたき討ち」や「賊を討つ」というときは「討つ」が使われます。『忠臣蔵』の「赤穂浪士四十七士は吉良邸に討ち入った」といった有名なフレーズもありますね。
「遠くまで追いかけてかたきを討つ」のは誤り
このことわざを、執念深く、相手がどんなに遠い場所に逃げても恨みを晴らす、という意味で使うのも誤りです。
誤った使い方の例:彼が私にした仕打ちは決して忘れない。「江戸のかたきを長崎で討つ」と言うように、彼がどんなに遠くにいても私は恨みを晴らす。
「江戸のかたきを長崎で討つ」の由来
江戸と長崎の遠い距離を由来とする説
「江戸のかたきを長崎で討つ」の由来には、二つの説があります。一つめは、江戸で受けた恨みを、江戸から遠く離れた長崎で晴らすということです。
この場合は、江戸と長崎は遠い距離を示す土地として示されています。高速道路の、東京ICと長崎ICの間の道のりは約1200㎞で、現在でも自動車でおよそ17時間かかります。
江戸時代の東京長崎間というのは、想像もつかないくらい遠い距離だったのかもしれません。
「江戸のかたきを長崎が討つ」を由来とする説
二つめは、「江戸のかたきを長崎が討つ」が由来で、これが「江戸のかたきを長崎で討つ」に変わったとする説です。
江戸時代の文政年間(1818年~1830年)のことです。大阪の一田正七郎(いちだしょうしちろう)という職人が、『三国志』の人形(お釈迦様の像とする説もあり)を制作しました。この人形を江戸の浅草で見世物としたところ、大人気となりました。
江戸の見世物師は大阪の見世物師の人気の前になすすべもなく悔しがるばかりでしたが、そのころ長崎のビードロ細工やギヤマン細工の見世物が大阪(江戸とする説もあり)にやってきます。
ビードロ細工のオランダ船の美しい模型や、ギヤマン細工の大灯籠は、大阪の一田正七郎の見世物よりさらに人気を集めることになります。
このことから、「江戸のかたきを長崎が討つ」という言葉が生まれます。そして、それが変化して、「江戸のかたきを長崎で討つ」となったとされています。