「説諭」とは
「説諭」の意味
「説諭」(せつゆ)とは、文字通り「説いて諭すこと」。つまり、「悪い点を指摘し、改めるように言い聞かせること」です。
また、動詞になると「説諭す/説き諭す」(ときさとす)となり「道理を教え、よく聞かせる」時に使います。
多くの場合、対象者と立場が同等かそれ以上の人、あるいは然るべき立場の人が主語となります。
以下の文章は、国木田独歩の『初恋』の一節ですが、説諭するのは目上の人である「父」、されているのは「僕」です。然るべき立場の人のケースは、追ってご説明します。
僕が高慢な老人をへこましたのか、老人から自分の高慢をへこまされたのかわからなくなったが、ともかく、少しはへこましてやったつもりで宅に帰り、この事を父に語った。すると父から非常にしかられて、早速さっそく今夜あやまりに行けと命ぜられ長者を辱はずかしめたというので懇々説諭された。
「説諭」の類義語
- 「勧説」(かんせつ/かんぜい):説きすすめること。
- 「説教」(せっきょう):よく言い聞かせて説得すること。
- 「切言」(せつげん):言葉を尽くして説得すること。痛切に論じること。
警察官の「説諭」
警察官が「説諭」する場合は、起訴するほどでもない非常に軽い犯罪や揉め事などが発生した際、張本人に厳しく注意して反省させ、無罪放免とすることを言います。
(例)夜遅く出歩いていた少年を説諭する。
裁判官の「説諭」
裁判においては、裁判長が判決を言い渡した後に、被告に言い聞かせることを「説諭」と言います。法律用語では正式には「訓戒」ですが、一般的には「説諭」と言っています。これは下に引用する「刑事訴訟規則221条」が根拠となっており、説諭する・しないも含めて裁判官の裁量に任されています。
(判決宣告後の訓戒)
第二百二十一条 裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる。
説諭は締め括りの言葉だけに、裁判のクライマックスとも言えます。その多くは「二度と繰り返さないように」というような定型的な内容ですが、裁判官の個性や価値観が現れる場合もあります。それだけに、名言や迷言も生まれますが、被告の将来のためになるメッセージが期待されるところです。
また、裁判官裁判では裁判長が一人で考えて説諭を述べますが、裁判員裁判においては裁判官と裁判員が評議するので、その評議内容も踏まえて裁判長が説諭するそうです。
次に、話題となった説諭をいくつかご紹介します。
さだまさしの歌を引用
2002年東京地裁にて。相手を暴行の末、死亡させた当時少年だった被告たちに対して、裁判長は有罪を言い渡した後に、「唐突だが、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか?この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と述べました。
この『償い』は実話に基づいた歌詞で、ある若者のことを歌っています。「雨の中、車を運転していた若者が人を撥ねて死なせてしまった。その若者は遺族に仕送りを続けて、7年目にようやく遺族からの手紙を受け取った。」という内容です。
裁判長はこの説諭について、「人ひとりを死なせた重さを理解させたかった」と後に漏らしたそうです。
控訴を勧めます
2010年横浜地裁にて。裁判員裁判で初めて死刑判決が出された後の説諭で、「重大な結論で、裁判所としては控訴を申し立てることを勧めたい」と述べました。
この説諭は賛否両論で、世間に波紋を広げました。「裁判長の責任放棄である」という厳しい意見もありましたが、「量刑について評議した際に、裁判員の意見が全員一致ではなかったので、異論を述べた裁判員に配慮したのではないか」とも言われました。
また、控訴審は裁判官裁判になるため、裁判員裁判の意義を問う意見も見られました。
人格的な意味で死んで欲しい
2013年福岡地裁にて。元妻に暴力を振るっていた男が、元妻をかくまった元妻の友人を殺害した事件の判決で、懲役30年の求刑に対し、懲役24年の判決を申し渡した後の説諭。裁判長は「遺族は死刑を求めた。私たちも死んでほしいと思っている」と述べ、その後に「生物的な意味ではなく、人格的な意味で」と付け加えました。
この裁判も裁判員裁判でした。同情の余地のない被告人に対して少しでも響いて欲しいと、裁判員と話し合った結果として盛り込まれた言葉だったかもしれません。しかし、反省を促す言葉としては過激すぎるのでは?という意見も見られました。
「説諭」の意味や使い方まとめ
「説諭」(せつゆ)とは、文字通りの意味で、「悪い点を指摘し、改めるように言い聞かせること」です。日常生活ではあまり登場しない言葉ですが、警察官、裁判官などが「説諭する」という話題で触れることはあるでしょう。裁判官の「説諭」は、判決を申し渡した後に、被告に対して投げかけられるメッセージです。