「曲学阿世」とは?意味や使い方をご紹介

皆さんは「曲学阿世」という四字熟語を耳にされたことがあるでしょうか。漢字だけを見ると何となく意味も浮かびそうですが、読み方や正しい意味は「うろ覚え」という方が多いかもしれません。今回は「曲学阿世」の意味や語源などを解説します。

目次

  1. 「曲学阿世」の読み方と意味
  2. 「曲学阿世」の語源
  3. 「曲学阿世」の使い方
  4. 「曲学阿世」の例文
  5. 「曲学阿世」の類語
  6. 「曲学阿世」のまとめ

「曲学阿世」の読み方と意味

「曲学阿世」という四字熟語は「きょくがくあせい」と読みます。これは元来は中国の古典の一節からとられた言葉で、いわゆる漢文の一部です。漢文の読み下しでは「学を曲げて、世に阿(おもね)る」とも言います。

「曲学阿世」という四字熟語の意味は、「学問の真理をねじ曲げてまで、世の中におもねるような説を唱えること」です。「時の権力者や時代の流れに迎合して、本来あるべき正しい学説を変えてしまう行為」のことを示します。「阿世曲学」とも表記されることがあります。

「曲学阿世」の語源

「曲学阿世」という四字熟語は、古代中国・前漢時代の歴史家・司馬遷によって編纂された有名な歴史書「史記」の中に見える記述が由来となっています。史記の「儒林列伝」という編に、次のようなくだりがあります。
 

「今の皇帝が即位されたとき、賢者である儒学者の轅固を登用しようとした。ところが取り巻きのおべっか使いの儒学者がねたみ、彼は老人だと中傷した。それで登用されなかったが、その後轅固が九十歳になった頃再び登用された。同時に召し出された学者の公孫子がいぶかしむのを見て、轅固は『公孫先生、学問を曲げて世の中に阿ることのないようにしなさい』と言った」

この轅固の言葉が「曲学阿世」の語源となっています。「正しい学問に励み、はばかることなく正論を述べよ。世間にこびへつらってはいけない」と学者のあり方を示した戒めの言葉です。

「曲学阿世」の使い方

「曲学阿世」は前述の語源にあるように、長老の儒学者である賢者が「学者のあるべき姿」を、後輩に諭した言葉です。このため、現代でも一般的には教職や研究職、有識者など、学問の世界における人の行為について使うのが正しいといえます。

井伏鱒二、芥川龍之介といった文豪の作品の中にも見える故事成語の「曲学阿世」ですが、いずれも「学説」「論説」について批判するくだりで用いられています。このため、政治や芸能、スポーツといった他の分野の行動について使うのは本来適切ではありません。

例えば「本当に政治の世界では、こんな曲学阿世がまかり通るとはあきれたものだ」「あの作曲家はヒットしなきゃ曲じゃないという作風。曲学阿世じゃないか」といった使い方は誤用となります。

「曲学阿世」を用いる際は、そうした行為をする学者のことを「連中」とさげすむ意味の「徒」という言葉をつけて、「曲学阿世の徒」といった言い方をすることがもっぱらです。

「曲学阿世」の例文

  • あの学者は名声や賞ほしさに事実を書き換えたとしか思えない。まさに曲学阿世の徒だ。
  • 一日に四合というのを三合と書きかえるのは、曲学阿世の徒のすることです。(井伏鱒二「黒い雨」より)
  • あの評論家はいつも、時の政権をほめるようなことしか言わない。曲学阿世の徒というのはああいう人間だろう。
  • 彼は「時流に乗っている」といえば聞こえがいいが、ある意味曲学阿世なにおいもするな。

「曲学阿世」の類語

  • 阿諛追従(あゆついしょう)…気に入られようとして、他人におもねりへつらうこと。またはその言葉、おべっか。
  • 右顧左眄(うこさべん)…周囲や人の意見ばかり気にして、なかなか態度を決めないこと。
  • 君子豹変(くんしひょうへん)…「君子が過ちを改めるときは、豹のまだらのように非常にはっきり変わる」という古典が由来。現在では「主張や態度が急にがらりと変わること」という意味で、そうした無節操ぶりを非難する使われ方が多い。
  • 御用学者(ごようがくしゃ)…時の権力者や政治におもねり、その勢力に都合の良い意見や学説ばかりを主張する学者を揶揄する言葉。

「曲学阿世」のまとめ

学者や有識者といった見識の高い人たちに限らず、私たちの社会では、職場でも学校でも「どう考えてもおかしいよな」と心には思っても、なかなかそう言い出せない場面に、とかく出くわすものです。市井の人間であっても、ときには「曲学阿世」しない勇気を持ちたいものです。

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