「二階から目薬」の意味
「二階から目薬」は、思うような効果が得られず、もどかしく感じるさまを表したことわざです。また、まわりくどくてまるで効果がないことの例えとしても使われます。「二階から目薬をさす」「天井から目薬」と言ったりもします。
通常、目薬は目の上に据えてさしますが、そうした場合ですらちゃんと目に入らないことがあります。ましてや二階にいる人が階下の人の目に目薬をさすなんて、入らないのが当然ですし、まわりくどいやり方としか言いようがありません。
「二階から目薬」とは、そうしたもどかしさ、効果のなさを表す比喩表現です。
「二階から目薬」の使い方
- サポートセンターに電話したが、マニュアルを読み上げるだけだった。二階から目薬で電話代の無駄だった。
- 兄貴も話があるなら直接親父に言えばいいのに、俺にラインで伝言を頼むなんて、二階から目薬のやり方だよ。
- ダムに深夜の肝試しに来る連中への対策として橋を赤く塗ったと聞いたが、そんな二階から目薬の対策じゃなくて、ゲートでも作って施錠すればいいのに。
一番目は思うようにならない様子、下の二つはまわりくどい様子を表すものとして使われていますね。
「二階から目薬」の由来
「二階から目薬」が含まれる最も古い文献は『御前義経記』だと言われています。その中に以下のような一文があります。
『御前義経記』は、1700年に刊行された好色風俗を紹介した浮世草子です。ここから「二階から目薬」という表現が使われるようになり、上方系いろはかるたの「に」に収録されたことから、近世以降よく用いられるようになったと考えられます。
『御前義経記』で二階から目薬をさしていた人ですが、実は遊女であったとする説もあります。遊郭の二階にいた遊女が、目を患っているかつてのなじみ客を通りに見かけ、二階から目薬をさしてやったという説です。
しかし、現実に目薬を二階からさすなんてことがあったのでしょうか? 以下に江戸時代以降の目薬事情を見てみましょう。
江戸時代と明治時代の目薬
このことわざが用いられるようになった江戸時代初期ごろの目薬は、現在のような液状のものではなく、軟膏状のものだったと言われています。そう聞くと、二階から階下の人の目にさすのは、効果がないどころか不可能だろうと考える方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに、こうした軟膏状の目薬の入った貝殻に水を加え、浸出液を竹筒や棒状のもので目にさすことも行なわれていたようです。実際1762年の絵入りことわざ雑話集『普世俗談』には、目薬を棒のようなものの先でつけている図柄が採用されています。
その後、現在と同じような液状タイプの目薬が描かれた図柄が見られるのは幕末の頃からで、明治時代に入ると液状の目薬の図柄が定着するようになります。
目薬がいずれのタイプだったとしても、二階にいる人と階下の人の距離は近いとは言いがたく、不自然で効果の薄い作業だということに変わりはありませんね。
「二階から目薬」の類語
- 二階から尻炙る
- 遠火で手を炙る
- 月夜に背中を炙る
- 灯明の火で尻を炙る
「炙(あぶ)る」とは、火にあてて乾かしたり温めたりするという意味です。いずれも、火が遠かったり弱かったりしてうまく温められない、効果がない、という意味を持ちます。
また、四字熟語では「隔靴掻痒(かっかそうよう)」も同様の意味です。靴の上から足を掻いても効果がないことから、もどかしいことの例えとして使われます。
「二階から目薬」の類似英文
- Far water does not put out near fire.
こちらも遠回しで効果が弱く、もどかしいさまを表していることがおわかりいただけるかと思います。