「知らぬが仏」の意味
「知らぬが仏」には二つの意味があります。
「知らぬが仏」意味その1
実情を知れば腹も立つけれど、知らなければ心が仏のように穏やかでいられる、という意味です。「仏」は比喩表現です。慈悲深い純真無邪気な存在の例えとして用いられています。仏のように心穏やかに平和に過ごしたいのなら、なんでもかんでも知ろうとしないほうがよい、という教えですね。
「知らぬが仏」意味その2
もうひとつの意味は、上の意味から転じて、当人だけが事件や真相を知らないで、のん気に平気でいるさまをばかにしたり、あざけったりする意味があります。いい意味ではありませんから使う時には注意が必要ですね。
「知らぬが仏」の使い方
では実際にどのように使われているのか、例文を見てみましょう。
- 夫が無断外泊しても、私はもう何も聞かない。知らぬが仏である。
- 息子の行動にイライラの毎日だったが、彼が家を出てから喧嘩がなくなった。知らぬが仏だと言えよう。
- 結婚詐欺師にだまされているというのに、当人は知らぬが仏でニコニコ笑っている。
1と2は知らない方がいいという表現、3はばかにした表現として使われています。
「知らぬが仏」の由来
「知らぬが仏」は江戸時代から広く使われてきたことわざです。最も古く文献に登場するのは、江戸時代初期の『毛吹草』という俳句に関する書の中でした。その後も『好色三代男』、『御前義経記』など多くの書物に登場しています。
「知らぬが仏」といろはがるた
いろはがるたとは、「い=犬も歩けば棒に当たる」が有名な、ことわざを使った48枚組のかるたです。「知らぬが仏」は、江戸時代から戦前にかけて、江戸系いろはがるたの「し」の定番でした。そして江戸系以外のいろはがるたにも採用されたことから、広く庶民に知られることわざになりました。
「知らぬが仏」のかるたの図柄は、昭和初期頃までは、お地蔵さまの頭にトンボが止まっているものが定番でした。その後昭和10年代に入り、トンボがカラスや小鳥にかわりました。また、仏像の前でお供え物の団子を盗み食いする子どもの図柄もありました。なんとものんびりした大らかな図柄が多かったんですね。
しかし戦後期に入ると、お地蔵さまの背中に「へのへのもへじ」、「ばか」、「競売品」などの貼り紙がされた図柄が登場するようになりました。世知(せち)辛い世の中を反映しているような図柄ですね。
「知らぬが仏」の類句
言葉を言い換えた形で、ほとんど同じ意味のことわざには以下のものがあります。
- 聞かぬが仏
- 見ぬが仏 知らぬが神
- 見ぬが極楽
また「知らぬが仏」にさらに一文加えられたことわざもあります。
- 知らぬが仏、見ぬが秘事(実情は知らない方が仏さまのように心穏やかに過ごせるし、世間で秘事といわれているものも実態は案外がっかりするようなつまらないものが多いのだから、見ないでおくほうがいい)
- 無いが極楽、知らぬが仏(初めからお金や財産に縁がないならぜいたくしたいという欲望に心悩まされることもなく、貧しい生活も極楽にいるように楽しむことができるし、世間の出来事を知らなければ、仏さまのように穏やかな気持ちでいられる)
「知らぬが仏」の英語表現
日本のことわざでは仏という例えが使われていますが、英語ではどう表現されるのかみてみましょう。
- Ignorance is bliss.(無知は至福である)
- In knowing nothing is the sweetest life.(何も知らない人生は最も楽しい)
- He that knows nothing doubts nothing.(何も知らない人は何も疑わない)
英語では比喩なくストレートに表現されていますね。
まとめ
現代は情報社会と言われており世の中は情報であふれていますが、必要な情報ばかりとは限りません。余計な情報に心悩まされることにならないよう、「知らぬが仏」を頭の片隅に置き、時にはSNSなどから離れた時間を過ごすのもいいかもしれませんね。