「疾しい」とは?
「疾しい」(やましい)は、「疚しい」とも表記されますが、意味は同じです。「疾しい」のほうが一般的に使われはしますが、そもそも漢字での表記は少なく、ひらがなで書く場合がほとんどです。
「疾しい」は、大きく分けて次の3つの意味をもちます。
- 良心がとがめる、うしろめたく感じる。
- 病気であるように感じる、気分がわるい。
- 不満や焦りを感じ、もどかしい。
しかし、2や3の意味は、古語で用いられたもので、現代日本語ではほぼ使われていません。
「疾しい」の語源
「疾しい」の語源は動詞の「病む」で、それが形容詞化して「疾しい」となりました。
それゆえに、古語では身体の不調という意味でも使われたわけですが、現代日本語においても、心が痛む、と言い換えることもでき、語源の「病む」が心に影響しているかたちともいえるでしょう。
「疾」の字義
「疾」は、音読みが(しつ)、訓読みが(やまい、や・む、やま・しい、にく・む、はや・い、と・し、と・く)。訓読みの多さからも、この字が多義的であることがわかります。①やまい、わずらい。②やむ、なやむ、くるしみ。③にくむ、ねたむ。④はやい、すばやい、はげしいなど。
字の中に「矢」がありますが、実は「疾」は、「矢に当たった人間」を表現しています。矢が速いところから、速いという意味をもち(例:疾走)、矢が当たることにより、病などの心身に傷を受ける意味(例:疾病)へと派生しました。
「疾」の語源を知ると、現代日本語での「疾しい」の意味も、心に矢がささったような、なんともチクチクする気がとがめる感じがリアルにわかりますね。
「疾しい」の使い方
「疾しい」の意味(=良心がとがめる)の「良心」は、簡単にいえば、善悪の判断をする意識のことです。それがとがめるということですから、「疾しい」は悪いことをして心が痛む状態であり、必ず罪悪感があります。
悪いことをした自覚があっても、それがどうした、と、ものともしない意識であれば、「疾しい」は該当しません。申し訳ないことをしたな、心が痛むな、という感覚があってこそ使う言葉です。
また、疾しさを感じる対象は、なにも気づいていないか、疑っている状態であり、悪いことをされたとわかっていません。ここも「疾しさ」を使うポイントのひとつです。もし悪さが通じてしまっていたら、謝る、怯える、開き直る、などほかの感情や行動が喚起されるでしょう。
「疾しい」の文例
- 妻のにこやかな顔を見ると、昔の恋人と再会して食事したことが疾しく感じた。
- あなた、今日はなんだかそわそわしてるわね。なにか疾しいことでもしたの?
- 猫が産んだ三匹の子猫を友人たちに譲ったが、母子を引き離した時は疾しい思いだった。
- 転職が決まったのだが、信頼してくれている上司に疾しくて、まだ退職を切り出せない。
「疾しい」の類語
「後ろめたい」
後ろめたいとは、自分に悪い点があり、相手に対して気がとがめ、疾しい気持ちのことです。
文例:もし後ろめたいことをなにもしていないのなら、なぜ旅行に行っていたことを隠したの?
「心苦しい」
「疾しい」の類語としての「心苦しい」は、心に痛みを感じるさま、つらく切ないさま、申し訳なく思うさま、気がとがめるさま、などの意味です。「疾しい」や「後ろめたい」にくらべると、悪いことをしているという罪悪感がそれほどなくても使える言葉です。
「お忙しいところにこんな頼みごとは心苦しいのですが」などの場合は、(迷惑をかけるかもしれないが、仕事上のことでお互いさま)であったりもします。儀礼上のリップサービスとしてビジネスの場などでよく使われる言葉でもあります。
文例:多忙で母の誕生日に会いにいけないのは心苦しいが、せめてプレゼントは送ろう。