「窺える」の意味
「窺える」(うかが-える)とは、「察知することができる」「感じることができる」「推測することができる」という意味の言葉です。
原形の「窺う」(うかが-う)は、「小さな穴をのぞくようにそっと様子をさぐる」が基本的な意味であり、これの語尾が自発・可能を表す「~える」に変化したのが「窺える」です。
対象を(小さな穴を通すように)詳細に観察した結果、何かがわかった、何かを察することができた、というさまが「窺える」の本義であると捉えましょう。
「窺う」の意味
「窺う」には他にも以下のような意味があり、「窺える」はこれらの意味の自発・可能を表す場合があります。
- のぞいて様子を見る。そっと様子をさぐる。
- 密かに付け入る隙を狙う。時期の到来を待ちうける。
- 見て察知する。
- 手がかりを求めて調べる。
- いちおう心得ておく。
ただし、現代語で「窺える」と言った場合には「何かが察知できる」という意味であることが多いため、本記事では最初に挙げた意味に絞って解説を行います。
「窺える」の使い方
「窺える」という言葉を使うにあたっては、「確定的な事実とまでは断定できないものの、ある程度の客観性をもって(自然に)そう推測できること」について用いるのがポイントです。
例えば「見える」「思える」「考える」「感じる」といった表現の場合、筆者個人の「主観」のニュアンスが出てしまうことがあります。客観性が必要な文書(論文や公文書など)では、これらの表現は間違いとまでは言えませんが、少々不適です。
「窺える」の場合も完全に主観を排しているわけではありませんが、「(自分だけではなく)誰でも、当然、自然にそれがわかる」というニュアンスで使用可能な点を覚えておきましょう。
例文
- その映画を見た彼は、「この作品からは監督の歪んだ人間性が窺える」と感想を述べた。
- 〇〇遺跡は現存していないものの、いくつかの古文書の記述から、高さ10メートルを超える大きな建造物であったことが窺える。
- 顔を真っ赤にし、手をぶるぶるふるわせている彼女の様子からは、あからさまな苛立ちと怒りが窺える。
「窺える」「覗える」「伺える」
「窺える」と同じ読みで、しばしば同義語的な運用が見られる二つの言葉、「覗える」と「伺える」について触れておきましょう。
「覗える」
まず「覗える」(うかが-える)ですが、基本的には「こっそりのぞくことができる」という意味であり、派生的に(ある様子が)「見える」「推測できる」という意味合いで使われることもあります。
ただし、辞書によっては「覗える(覗う)」という言葉が載っていないこともあり、文字環境によっては「うかがう」「うかがえる」と入力しても「覗」の字が出てこないことがあるなど、少々マイナーな立ち位置です。
基本的には「覗える」は「窺える」の同義語と考えて構いませんが、「覗」と書く場合は「のぞくこと」が本義である点と、「窺える」表記のほうが一般的であることを踏まえておきましょう。
「伺える」
「伺える」(うかが-える)は、「聞くことができる」「訪問することができる」「尋ねることができる」という意味の謙譲語です。
「様子を察知する、推測できる」という意味の「窺える」とは別の言葉なのですが、「抽象的な概念を聞く・察知する」というニュアンスが似ているため、まれに「伺える」は「窺える」の同義語として運用されることがあります。
例えば、「うかがい知る」「おうかがいを立てる」などの表現に見られる「うかがい」は、「伺」と「窺」、どちらの字を使っても間違いではありません。
ただし「窺える」には謙譲語としての性質がないことを考えると、できる限り「窺える」と「伺える」は使い分けたほうがよいでしょう。