「一瀉千里」とは
「一瀉千里」のもともとの意味
「一瀉千里」(いっしゃせんり)とは、川などの流れが速く勢いがあることから、いったん水が流れ出すと千里の距離にも達することを表しています。「瀉」は、「水の流れが川を下っていくこと、下流に注ぎ込むこと」で、「千里」は、「極めて長い距離の例え」です。
転じた意味と現在での使い方
現代で「一瀉千里」を使う場合、その川の流れの様子から転じた意味で使われることが多いでしょう。勢いよく流れていくところから、「物事の解決が急速にはかどる」様子に例えています。
また、勢いに乗った水の流れに淀み(水の濁り、滞った流れ)がないように、「文章や話し方に淀みがない(流暢(りゅうちょう)で言葉に詰まることがない、明快で分かりやすい)」という意味でも使われます。
「一瀉千里」の例文
- 長年続いたお家騒動は、凄腕の弁護士のおかげで一瀉千里に片付いた。
- 力強い口調で一瀉千里に演説を終えた。
- 一瀉千里に書き終えた小説は、なかなかの評判だった。
「一瀉千里」の類語
一気呵成
「一気呵成」(いっきかせい)は、物事を素早くやり遂げること、仕事を勢いよく仕上げることです。もともとは、文章をひと息に書き上げる意味でしたが、他の物事に対しても広く使われるようになりました。
「一気」は「ひと息に」、もしくは「一呼吸で」ということで、時間をかけずに急いでという意味合いです。また「呵」は「息を吹きかけること」、「成」は「物事を成し遂げること」で、凍った筆に息を吹きかけて、素早い勢いで文章を書き終えたところから由来しています。
ただし、「一瀉千里」とは違い、話し方や文章に淀みがないといった意味合いでは使われません。
【例文】
- 一気呵成に論文を書き上げて、期限内に提出した。
- 頼まれた依頼を一気呵成に仕上げた。
立て板に水
「立て板に水」(たていたにみず)は、流暢に話すこと、言葉に詰まることなくすらすら話す様子を指します。立て掛けた板に水を流すとそのまま下に勢いよく流れていく様子を、口ごもることなく話をする様子に例えています。
「一瀉千里」と違う点は、物事の解決が急にはかどることや、淀みない文章を書くことといった意味では使えないところです。
【例文】
お歴々(おれきれき:地位や身分の人々)に臆することなく、立て板に水のごとく平気でペラペラと話をしている。