「一日の長」とは?意味や使い方をご紹介

「一日の長」という言葉をご存知ですか?聞いたことはあるけれど、使ったことはないという人が多いかもしれません。人にも自分にも使うことができる言葉ですが、使い分けるには注意が必要です。この記事では、「一日の長」について意味や使い方を解説します。

目次

  1. 「一日の長」とは?
  2. 「一日の長」使い方
  3. 「一日の長」由来
  4. 「一日」読み方
  5. 「一日の長」類義語

「一日の長」とは?

「一日の長(いちじつのちょう)」とは、文字通りならば、「一日早く生まれていること」で、ここから、「ほんの少しだけ年齢が上であることを表しています。転じて、「他の人よりも経験が豊富で、知識や技能などが少し優れていることを意味しています。

長い経験を持つ人を尊敬して使われることもありますが、自分の経験や知識、技能などが他の人より優れているときに謙遜して使うこともあります。謙遜して使う場合は、「いくらか」経験が豊富で、「少しだけ」技能などが優れているというニュアンスがより強くなります。

「一日の長」使い方

  • 文化祭で展示されていた絵画の作品を見たが、やはり上級生の作品のほうが見ごたえがあるね。やっぱり一日の長があるんだね。
  • おせち料理を作ることでは、なかなかお姑さんを超えることができない。悔しいけれど、味付け一つとっても、お姑さんに一日の長があるということを認めざるを得ない。
  • 今回は私の企画が通ったが、とくに私の考え方が優れているというわけではない。この分野では、たまたま私に一日の長があっただけ、ということだ。

「一日の長」由来

中国の儒教の経書(じゅきょうのけいしょ)「四書(ししょ)」の一つに『論語(ろんご)』があります。『論語』は、孔子やその弟子たちの言葉を、孔子が亡くなった後に約400年をかけて弟子たちが編纂したものです。

この『論語』の「先進(せんしん)十一之二五」に孔子が弟子たちに語りかけた次のような言葉があります。この孔子の言葉が、「一日の長」の由来とされています。

一日長乎爾、亟吾以也
「吾一日爾より長ずるを以て、吾を以てすることなかれ(われいちにちなんじよりちょうずるをもって、われをもってすることなかれ)」
意味:私はあなたたちより少し年が上だけれど、だからといって、(言うべきことを)遠慮する必要はない。

「一日」読み方

「一日」は、「いちじつ」と読むのが一般的で、現在、新聞やテレビ等のメディアでは、「いちじつ」と読まれています。一方、「いちにち」と読むこともあります。多くの辞書や教科書会社の見解などでは両方の読み方を認めていますが、誤りであるとする辞書もあります。

二通りの読み方があるのは、元々が中国の言葉を翻訳した際に両方の読み方で訳されていたためです。明治時代や大正時代の小説や随筆などにも、「いちじつ」と「いちにち」の両方の読み方が見られます。

「一日千秋」

一日千秋(一日に千回も秋が来たと思うほどの長い時間の流れを感じて、今か今かと待ち望む様子)」も「一日の長」と同様に読み方で迷う言葉です。この言葉も「一日」を、「いちじつ」と「いちにち」、両方の読み方が認められていますが、「いちじつ」が一般的です。

「一日の長」類義語

亀の甲より年の功

亀の甲より年の功(かめのこうよりとしのこう)」は、「亀の甲羅よりも、年長者の経験や知識の方が価値があり、年長者の意見は尊重して聞いた方が良い」という意味のことわざです。元々「功」は、仏教やインド哲学でとても長い時間を表す漢字の「劫」が使われていました。

医者と坊主は年寄りが良い

「医者と坊主は年寄りが良い(いしゃとぼうずはとしよりがよい)」は、「医者や僧侶は年を重ねて経験を積んだ者ほど信頼できる」という意味のことわざです。同じようなことわざに、「医者と味噌は古いほど良い(いしゃとみそはふるいほどよい)」があります。

老いたる馬は道を忘れず

「老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)」は、「年をとった馬は道に詳しく迷わない」ということから、「年長者の知識や経験は間違いがない」という意味で使われることわざです。中国の故事を由来にしています。


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