「亀の甲より年の功」とは?
「亀の甲より年の功」は、本来「亀の甲より年の劫」と書き、「長年かけて積んできた経験は貴く、価値がある」という意味のことわざです。
「亀の甲」は、甲羅(こうら)のことで、「甲」と「劫(功)」は、同じ音の韻を踏んでいます。「年の劫」は、多くの経験を積むこと、「年の功」は、長年の功績を意味しており、単に歳を取るという意味ではありません。また、「こう」に「効」という漢字は使いません。
つまり、亀は万年生きると言われていても、所詮「亀の甲」は甲羅でしかなく、人間は八十年程度の寿命であっても、年配の人たちが経験から得た知識はとてもためになるため、価値があり、尊敬するべきであるという教訓です。
なお、「劫」は、時間の単位を表す仏教用語で、「一劫(いちごう)」の長さについては様々な説がありますが、「きわめて長い時間」を表す言葉です。
「亀の甲より年の功」の使い方
【例文】
- 「亀の甲より年の功だ、年上の言うことはきちんと聞いた方がいいぞ。」
- 「祖父が助言をくれたことで私の悩みは解消された。やはり亀の甲より年の功である。」
- 「亀の甲より年の功という言葉があるように、年配者の話には役に立つことが多い。」
「亀の甲より年の功」の類語
「烏賊の甲より年の功」
「烏賊(いか)の甲より年の功」とは、「年長者の経験は価値があるので重んじなければならないこと。」という意味を持つことわざです。
イカの甲はあまり役に立たないが、年功は積めば積むほど価値があることに由来する言葉です。「亀の甲より年の功」の「亀」部分が「烏賊」に変化しただけで、ほとんど同じ意味合いの言葉になります。
「老いたる馬は路を忘れず」
「老いたる馬は路(みち)を忘れず」とは、「経験豊かな人は物事のやり方をよく心得ているということ。」という意味のことわざです。経験を積んだ者は、行うべき道を誤らないことの例えとして用いられます。
これは、中国の春秋時代、斉(せい)の政治家、管仲(かんちゅう)らが山中で道に迷った際に、老馬を放ってそのあとをついて行き、正しい道に出ることができたという故事に由来しています。『韓非子・説林上』に記されたエピソードです。
「老馬の智(ち)」、「馬に道をまかす」、「老いたる馬は道を知る」といった言い方もあります。「路」は、「道」あるいは「途」とも書きます。
「亀の甲より年の功」の対義語
「騏驎も老いては駑馬に劣る」
「騏驎(きりん)も老いては駑馬(どば)に劣る」とは、「騏驎のような駿馬(しゅんめ:足の速い馬)でも年を取ると駑馬(足ののろい駄馬)にも負ける」という意味で、「どんなに優れた人でも年老いると普通の人にも及ばなくなる」ことを例えることわざです。
「騏驎」は、1日に千里を走るという駿馬のことです。「麒麟(きりん)」という漢字もありますが、これは古代中国に伝わる想像上の動物のことで、このことわざには使いません。
前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した『戦国策』のうち、『斉策』の一節「麒麟之衰也、駑馬先之(騏驥の衰うるや、駑馬これに先だつ)」に由来します。ここでは「麒麟」が使われていますが、これは「騏驥」と解されています。
「出藍の誉れ」
「出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)」は、「青は藍より出でて藍より青し」とも言い、「弟子が、師匠の技術や学識を超える」と言う意味のことわざです。これは、藍(タデ科の植物)から採れる青色の染料は、もとの藍の葉より青くなることからきた表現です。
この言葉は、中国戦国時代末期の思想家荀子の著作『荀子・勧学編第一』の一節「青、取之於藍、而青於藍(青は、之を藍より取りて、藍より青く)」に由来します。