一日千秋の意味と使い方
一日千秋は四字熟語で「いちじつせんしゅう」と読みます。意味はある物事や人を、一日が1000年に思われるほど待ち焦がれることです。「一日」は1日の長さを表し、「千秋」は1000年のことを言います。
•好きな人と待ち合わせしていたり、大切な人の帰りを待っているとき
「あなたが訪れることを一日千秋の思いで待っています」と表現すると気持ちがよく伝わります。
•大事な取引先などの連絡のやりとりで
「~様の連絡を一日千秋の思いで待っておりました」と使うと思いが伝わります。
•頑張ったことの合否を待つとき
「試験の結果を一日千秋の思いで待つ」と言うと思いが理解できます。
一日千秋の由来
出典は紀元前9~7世紀(日本では奈良時代・平安時代にあたる)の詩を集めた中国最古の詩集「詩経」(しきょう)です。「一日見ざれば三秋のごとし」(一日会わなかっただけで三年も会わなかったような気がする)という恋心を表した詩「一日三秋」からきた言葉です。一日三秋の「三秋(さんしゅう)」は秋が三回過ぎるということで、三年を意味しています。つまり、「一日三秋」をさらに強調してできたのが「一日千秋」ということです。
「三秋」「千秋」と秋を使うのには意味があります。秋には稲作を始め多くの作物が収穫できます。アジア地方などの農耕民族にとって、「秋」は最も大切な時期だったのです。その時期を昔の人は「時」や「歳月」として表現したということになります。
また、「千秋楽」という言葉を耳にしたことがあると思います。千秋楽は興行(相撲や演劇)の最終日のことをいいます。因みに、歌舞伎では秋に「火」がつくため縁起が悪いとされ「千穐楽」と書きます。
一日千秋の類義語
一日千秋には「一日三秋」の他にも類義語があります。
一刻千秋(いっこくせんしゅう)
わずかな時間が非常に長く感じられること。
三秋之思い(さんしゅうのおもい)
1日会わないでいると何年も会っていないような思いがする。
千載一遇
「千載一隅」(せんざいいちぐう)とはめったに訪れそうもない良い機会。二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態のことを言います。「載」は年のことで「一隅」は一度出会う、「遇」は思いがけず出くわすという意味です。千年に1度偶然訪れるくらいの機会のことを意味しています。
『くっそ~!なんであのときに…あのときこうしていれば…』と思うときがありますよね。その思いを「千載一隅のチャンスを逃した」と表現することができます。又、好きな異性に偶然町や電車で会った。これはまさに「千載一遇」です。
その他の四字熟語
一日千秋のように「一」「千」を使っている四字熟語は他にもたくさんありますので一部紹介します。
一字千金
•一字が千金に相当するほどの立派な文字や文章のこと。
例)「一字千金に値する名作だ」
一刻千金
•わずかな時間が大金にも値するほど貴重なこと。
福澤諭吉は「福翁自伝」で「吾身の為には一刻千金の時である、金がなければ唯使わぬと覚悟を定めて」と書いています。修行をしていた若い頃、周りは勉強とバイトの生活をしていましたが、福澤諭吉は1人時間がもったいとバイトはせずひたすら勉強しました。お金を使わなければどうにでもなると考え、勉強に全精力を注いだそうです。
一騎当千
•能力、経験、手腕などが並外れて優れていること。
例えば、いつも頑張ってくれている優秀な部下を褒めたいとき「君はいつも一騎当千の働きをしているから、君がいないとみんな大変だよ」と使ってみてはどうでしょうか。たった1人で1000人と戦えるような人物がこれに当てはまります。