「袂を分かつ」とは
「袂を分かつ」<たもとをわかつ>は、「袂」と「分かつ」の二つの言葉から成り立っています。まず、「袂」とは何か、見ていきましょう。
「袂」とは
「袂」<たもと>にはいくつかの意味がありますが、「袂を分かつ」においては、和服の袖付けから下の、袋状に垂れ下がった部分を指します。和服を着て腕を振ったときにパタパタと翻る部分のことですね。
「袂」は「た(手)」と「もと(本)」から成り立っている言葉です。「袂」には「そば(側)・わき(脇)・ほとり(畔)」といった意味があるのは、そのためなのです。
「袂を分かつ」の語源
「袂を分かつ」とは、「袂」が触れ合うほど近くにいて親しくしていた人同士が、離れて別々になる様子を表しています。
「袂を分かつ」の意味
このことから、「袂を分かつ」は「仲間との関係を絶つ・親しい人と別れる」ことのたとえとして用いられるようになりました。「袖を分かつ」という言葉もありますが、これも同じ意味の言葉です。
「袂を分かつ」の例文
- 同族経営だったこの会社は、経営者親子が袂を分かって分裂した。
- 連合は党派の対立によって袂を分かつことになった。
- のちに、彼は、師匠と芸風が合わ無いことを理由に袂を分かつこととなる。
- 主義の違いから、仲間と袂を分かつ決意を固めた。
「袂を分かつ」の類語
「決裂」
「決裂」とは、意見が一致せずに折り合いがつかない・意見が合わずに交渉や階段が成立しないという意味です。簡単に言えば、「物別れになる・物別れに終わる」ことを表します。
「袂を分かつ」には、それまで親しかったという前提が必要ですが、「決裂」は初めて顔を合わせた人同士に対しても使われる言葉です。
「絶縁」
「絶縁」は、縁を絶つと書きますから、関係を断ち切ることを指す言葉です。「断絶」や「絶交」に類する言葉で、「袂を分かつ」に近い意味があります。
「間隙を生ずる」
「間隙」とはすきまのこと。「間隙を生ずる」<かんげきをしょうずる>とは、隙間ができる、あるいは、二人の仲が疎遠になるという意味です。
「袂を分かつ」は人だけでなく組織や国に対しても用いられますが、「間隙を生ずる」は二人の人に対して用いられる点では異なります。
「杯を返す」
「杯を返す」<さかずきをかえす>には、注がれた酒を飲み干して返杯するという意味もありますが、侠客の世界では子分が親分に対して縁を切ることを指します。
一般社会における絶縁には用いられない言葉ですが、限定的なシチュエーションでは「袂を分かつ」に近いニュアンスです。
着物に関する慣用表現
「襟を正す」
「襟を正す」<えりをただす・きんをただす>とは、乱れた衣服を整えて姿勢を正す、転じて、それまでの態度を改めて真面目な気持ちで物事に対処することを指します。気を引き締めてことに当たるということですね。
「袖に縋る」
「袖に縋る」<そでにすがる>とは、憐れみを乞う・同情を引いて助力を求めることのたとえです。
時代劇などで、明日の食糧や来年の種籾まで持ち去ろうとする役人の袖に取り付いて、「どうかそれだけは堪忍してください」と懇願するシーンがありますね。そのような場面を思い浮かべると理解しやすいでしょう。
「袖の下」
袂の下に隠しながらそっと渡すものを指して「袖の下」<そでのした>と言います。人目をはばかるものですから、賄賂や内密に贈る心づけのことですね。「役人に袖の下を握らせる」「袖の下を使って便宜を図らせる」のように用いられます。
「無い袖は振れぬ」
着物の袖は袋状になっていますから、財布を入れておく場所でもありました。よって、袖が無いとは、お金が無いことを指すのです。
「無い袖は振れぬ」とは、借金の返済や金銭的な援助を求められたときの返事として、金の持ち合わせがないから金は出せないという意味で用いられます。
「袖振り合うも多生の縁」
「多生の縁」<たしょうのえん>とは、前世で結ばれた因縁を指しています。「袖振り合うも多生の縁」とは、人と道ですれ違う際に袖が触れ合うといったちょっとしたことも、前世からの深い因縁によるものだという意味です。
このことわざは、人との縁は単なる偶然では無いのだから、どんな出会いも大切にしなさいという仏教の教えに基づいています。
「懐が寂しい」
着物を着ているとき、財布は袖のほかに、懐に入れることもあります。「懐が寂しい」<ふところがさみしい>とは、所持金が少ないこと、財産が少ししか無いことを指しています。「懐が寒い」も同じ意味です。
「無い袖は振れぬ」と違い、金を催促された問いの返事以外でも用いられます。「年末は出費が多くて懐が寂しい」といった形ですね。