「見て取れる」とは?
「見て取れる」とは、「見て、まわりの情勢や状況、相手の真意などがすばやく察知できる」という意味の言葉であり、「見て取る」を可能動詞にしたものです。
「見る」からわかる通り視覚に関係する表現ですが、そこから「取る」ことができる情報は視覚に限定されることなく、物事のなりゆきや、相対している人間の胸中までも対象に含むことができます。
一説には、人間は視覚から9割以上の情報を得ていると言われています。裏を返せば、人間が扱う情報のほとんどは目に見えたものを根拠とする、または目に見えるものに例えられる、と言えるでしょう。
「取る」について
「取る」という言葉は、本来は「手を伸ばして取る」「それを取って」などのように「手」にかかわる言葉です。
ここから派生して、物理的に手を使わずとも「物事の内容をはかり知る、考える、はかる」という意味も「取る」で表すことができます。具体的には「悪い意味で取らないでくれ」「脈を取る」などですね。
手を伸ばすように視線を伸ばし、見えるものから情報を拾い上げて手元に引き寄せ、その内容をはかりしる様子をイメージすると、「見て取れる」の意味が「取り」やすくなるかもしれません。
「見て取れる」の使い方
①まずは「見る」
「見て取れる」を使う際には、まず「見る」ことが必要です。「見る」方法としては、その場で物理的にその対象を見る場合が主ですが、予見的に物事を推測し、「君が慌てふためく未来が見て取れる」と使うこともできます。
また、じっと見るというよりは、大雑把に「さっと見る」イメージです。ひとつの対象物に焦点を当てる方法でも良いですし、「戦場の様子からは、不利な形勢が見て取れる」のように、広い視野をもって「俯瞰(ふかん)する」場合にも使えます。
②すばやく「取る」
そして、見た情報は、ほとんど間を置かずに内容やその意味を「取る」(取ることができる)必要があります。「見て、考えて、取れる」ものは「見て取れる」とは言いません。「すばやく状況を察知できる」ことが「見て取れる」の意義だからです。
簡単に言い換えれば「(誰にでも)見ればわかる」「見れば当然、それがわかる」というニュアンスが「見て取れる」には含まれているということですね。
断定ではないため注意
ただし、「見て取れる」はあくまでも個人的な観察による推測・判断・解釈を指す言葉ですので、客観的な基準から物事を断定するニュアンスはありません。
妄想や想像というほど根拠が薄くはありませんが、あくまでも「見てすぐわかる」程度の根拠ですので、その信憑性は、「見て取る」人間の観察力や洞察力、または知識や経験に依存すると言えます。
当然、「見て」から「取る」までのあいだに誤解や予断が差し挟まれ、事実とはまったく異なる何かが「見て取れる」こともあります。
「見て取れる」の例文
- このグラフからは、ここ数年、日本の人口が減少を続けていることが見て取れる。
- 目線がせわしなく動き、何度も言葉に詰まり、汗をかいている彼の様子からは、怯えと焦りの心情が見て取れる。
- A社の商品デザインからは、ライバルであるB社のデザインコンセプトとはちょうど真逆の方向性が見て取れる。
- 国内の消費がにぶっている背景には、国民全体の、将来に対する不安感が見て取れる。
「見受けられる」との違い
「見て取れる」とよく似た表現に「見受けられる」があり、その意味は「見て取れる、見て判断することができる」というものです。
意義の中に「見て取れる」がある通り、両者の意味・使い方は非常に似通っていますが、「見て取れる」に比べ、「見受けられる」は少々客観性が高いという違いがあります。
「見受けられる」はあくまでも受け身として「見たものは(誰にでも)このように受け取れる(だろう)」と客観性のある観察を述べるニュアンスですので、公的な発言や文書の中で使うのにも適しています。
例文
- この公園では、子どもたちが禁止されたボール遊びをしている姿がしばしば見受けられる。
- 彼の普段の勤務態度には、少々問題が見受けられる。