説明の難しい「シュール」
今回のテーマは「シュール」です。例えばお笑い芸人のコントを見て「シュールな笑いだなあ」とか、普通なら起こりそうもないヘンテコな出来事に遭遇したときに「シュールな展開だ」など、「シュール」という言葉は日常的に使われますが、改めて「シュールってどういう意味?」と問われると、どんぴしゃりでハマる答えが見つからないのがもどかしいところ。
近年、特に若者のあいだで定着した「ヤバい」「エモい」といった言葉の意味がはっきりとは説明しきれないのと同様、多分に感覚的な表現であるのが「シュール」です。
「シュール」はもともと「シュルレアリスム」の略語です。ただし、現在私たちが口にする「シュール」と、「シュルレアリスム(シュール)」では、すこしばかり意味合いが異なります。そこでまずは本来的な意味での「シュール」についてご紹介しましょう。
「シュルレアリスム」とは①
「シュルレアリスム」は20世紀初頭から中ごろにかけて興った芸術運動です。フランスの詩人ブルトンが1924年に著した「シュルレアリスム宣言」が始まりでした。なお、それに先立ってダダイスム(ダダ)と呼ばれる芸術運動があり、ブルトンも共鳴していました。
既成の価値観や社会秩序、合理性を全否定し、理性より無作為の感覚を重視したのがダダイスムでしたが、ダダの思想と決別したブルトンが、フロイトの無意識研究などの影響を受けて新たに興したのが「シュルレアリスム」運動だったのです。
「シュルレアリスム(surréalisme)」の「sur」は英語の「super」と同じくラテン語「super」を語源とし、「~を超えて」「~より上の」という意味を持つ接頭辞です。「シュルレアリスム」が何を「超えて」いるのかというと、文字どおり「リアリズム(現実主義)」を超える、超えるものを目指したわけです。とはいえそれは、ただ闇雲に「非現実的なもの」を作りだすという意味ではなく、そこには「現実を超えた現実」を作品化しようという理想がありました。
「シュルレアリスム」とは②
「シュルレアリスム」は日本語でもそのまま「超現実主義」と訳され、やはり具体的には意味を捉えきれないところがあります。芸術というもの自体が表現者の精神や感覚の具現化ですから、そこからしてすでに言葉に置き換えるのは困難なのですが、「シュルレアリスム」をあえて説明するなら、理性や自意識(つまり主観)から解き放たれた創作、見る者の感覚や意識下に訴えかける芸術ということになるでしょう。
ダリやマグリットの絵画をご覧になったことがあるでしょう。まるで夢に見た光景を描いたかのような絵。そこから私たちが受ける奇妙な感じ、現実感の揺らぎは、「シュルレアリスム」作品に対する一般的なイメージといえるのではないでしょうか。
自動筆記~「シュルレアリスム」の実験
「シュルレアリスム」の実験的創作として有名なのが「自動筆記」です。あらかじめ内容を決めずに、半覚醒状態や、高速で多量の記述を行う。いわば意識を飛ばし、理性を通さない状態から、何が生まれるか……そこに「現実を超えた現実」があるというのでした。
俗語としての「シュール」
では現在、日常生活で「シュール」と評されるのはどのような物事でしょう? 非現実的なもの。頭(理性)で理解できない不合理なもの。意味を成していないもの(ナンセンス)。また、あまりに難解すぎてついていけないものを「シュール」と呼ぶこともあるかもしれません。総じて「普通ではない変なもの」「わけのわからないもの」に対してついつい「シュールだ」と発することが多いようです。
現実離れしているという点では本来の「シュール(シュルレアリスム)」に近い意味合いですが、芸術からは切り離され、奇妙な感覚を味わったときなら何にでも用いられるのが、俗語表現の「シュール」ということになるでしょう。
さまざまなシチュエーションに適用できる使い勝手のいい言葉。反面、その意味を訊かれるとちょっと口ごもってしまう「シュール」。そもそも、「感覚」を表す言葉を別の文章で説明するのは、あまり意味のないことかも知れません。