「絵に描いた餅」の意味
「キミ、こんな企画書じゃ絵に描いた餅だよ」なんて上司から言われたら、みなさんはどうしますか?「絵に描いた餅」の意味に見当がつかない人は、ちょっと想像してみてください。イラストのお餅は、どんなに美味しそうでも食べられませんよね。すなわち空腹を満たす役には立たないのです。
「絵に描いた餅(えにかいたもち)」は「あっても役に立たないもの」「実現しそうもない計画」を表す言葉です。日常的に使われる言葉ではないにしても、使用できる場面は意外と多いはずなので、ぜひ「絵に描いた餅」について詳しくなっておきましょう。
「絵に描いた餅」の使い方
まずは「絵に描いた餅」の使い方ですが、役に立たないという意味なら「私にとっての芸術とは絵に描いた餅だ」、実現しそうもない計画なら「絵に描いた餅に思われた彼の企画は見事実現した」といった例文が挙げられます。
「絵に描いた餅」はもののたとえではあるのですが、成句となった段階で「絵に描いた餅」そのものに「~のようだ」という意味まで含まれるため「絵に描いた餅のようだ」とするのはあまりスマートではありません。「絵に描いた餅だ」と言い切っても、じゅうぶん意味は伝わります。
また「絵に描いたような」という慣用句と混同しやすいことにも注意が必要です。「絵に描いたような」は「完璧な・理想的な・素晴らしい・典型的な」といった意味で使用されます。「絵に描いたような美女」を「絵に描いた餅のような美女」なんて、間違っても言わないようにしましょうね。
「絵に描いた餅」の由来
「絵に描いた餅」は「画餅(がべい)」という語句が由来となった言葉です。「画餅」も描かれた餅のことで、計画などが失敗して無駄骨折りに終わることを「画餅に帰す(がべいにきす)」といいます。もともと「画餅」という言葉があって、それを「絵に描いた餅」と言い換えたわけです。
「画餅」の語源
では「絵に描いた餅」の由来となった「画餅」には、どんな語源があるのでしょう。「画餅」の故事の出典は、正史『三国志』の魏志・盧毓(ろいく)伝です。
盧毓伝
盧毓は古代中国、三国時代の魏の2代皇帝・曹叡(そうえい)に仕えていました。曹叡は『三国志』で有名な曹操(そうそう)の孫にあたる人物です。
当時、特定の官吏らが内輪で互いに評価しあい、それを伝聞によって広めることで世間の評判を高めていました。いわゆるステルスマーケティングのようなものですね。これを嫌った曹叡は「名声に頼って人材を推挙してはならない。名声は地に描かれた餅のようなもので、口にしてはならぬものだから」と発言したのです。これが「画餅」の語源です。
ただし盧毓はこの時「普通の人間は何もないところから学び、善行を重ねることによって名声を得るのだから、これを否定してはならない」と曹叡を諌めています。
古代中国における名声
現代の感覚では「世間の評判がなんだ」というところかもしれませんが、古代中国において名声はとても大事なものでした。当時役人は選挙投票で選ばれるのではなく、推薦によって登用されていたからです。推薦してもらうためには、名声を高める必要がありました。世間の評判がなければ、出世すらままならなかったのです。
曹叡の祖父・曹操も、官職に就くのに非常に苦労したと言われています。曹操は極めて多才な人物でしたが、名声がなかったためになかなか推挙されませんでした。その影響もあってか、台頭してからは「唯才是挙(ゆいざいぜきょ)」つまり家柄や人柄に関わらず、真に才能のある人物を登用すると定めました。
祖父を敬愛していたのか、曹叡の君主の道は、曹操の悲願を達成するためのものであったとも言われます。祖父が重用した「才能」が、絵に描いた餅のごとく実体のない「名声」に埋もれることを、曹叡はひどく憂いたのかもしれません。
「絵に描いた餅」のニュアンス
前項の故事からわかるように「絵に描いた餅」は確かに「あっても役に立たないもの」のたとえですが、元々は「有名無実」のニュアンスが強く含まれていました。ただ役に立たないのではなく、確かに存在はしているが実質が伴っていないということですね。
ですから「実現しそうもない計画」という意味で使われるときには、「(計画や企画に対する)志・理想は高いものの、現実的ではない」といったニュアンスが含まれます。見通しが甘いというよりも、理想と現実のギャップが大きいところがポイントなんですね。