「いきがる」とは
「いきがる」とは、「自らを‘いき‘であるかのように見せかける」ことです。「いき(粋)」とは日本文化における美的理念、特に江戸時代にいたって意識されはじめた美意識のことをさします。
しかし、「自らを‘いき‘であるかのように…」と説明を受けても、直感的にイメージできる人は少ないと思われます。なぜなら、「いきがる」という言葉の使われ方が、時代とともに変化してしまったからです。
現代においての「いきがる」
現代においての「いきがる」は、特に若い人を中心に「虚勢を張る(=‘からいばり‘をする)」や「調子に乗る」、「生意気」などの意味を持つ言葉と認識されています。
原則として目上の人に対しては使わないネガティブな表現であり、自らの虚勢を指して自虐的に使われることもある言葉です。
「いきがる」の用例
- 「もう彼女に未練はない」と彼は粋がっているけれど、どこか寂しそうだ。
- 世の中全てを知っているかのように粋がってみせることは、反抗期の若者にはよくあることです。
- 「そんな仕事はお安い御用です」と先輩には粋がってみせたものの、量が多すぎて一向に終わらない。
「いき」の意味と起源
「いきがる」の「いき」の意味について、詳しく見ていきましょう。漢字表記は、「意気」または「粋」です。それぞれの言葉の意味を並べてみましょう。
「意気」の意味
- きだて。心ばえ。きまえ。心もち。気性。
- 気力。気合。気概。いきごみ。
- 意気地のあること。心意気。
「粋」の意味
- 気持や身なりのさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気をもっていること。
- 人情の表裏に通じ、特に遊里・遊興に関して精通していること。また、遊里・遊興こと。
「意気」から「粋」へ
それぞれの意味を並べてみると、「意気」と「粋」では重なる部分が極めて少ない印象を受けますね。しかし「粋」は「意気」から転じた語、もともと「意気」と表されていたものが、後に「粋」と書かれるようになったのです。
江戸時代、江戸を中心にみられる美的理念の一つ。江戸深川の遊里(ゆうり)における通言であったものが市中に一般化したもの。「粋」の字をあてることも多く、上方を中心にみられる「粋(すい)」と通うところもある。主として言語・動作・身なりなどの都会的に洗練された美しさをいうときに使われる。のちには女性の張りのある色っぽさをいうようになり、人情本(にんじょうぼん)に登場する女性たちに典型的に形象化されている。
出典:『山川 日本史小辞典』山川出版社
つまり、「いきがる」の本来の意味は「自らを‘洗練された美しさ、色っぽさを感じさせる人物‘であるかのように振る舞う」ことをさします。
「いきがる」の意味の変化
冒頭でも触れたとおり、現代において「いきがる」は「虚勢を張る」や「調子に乗る」などの意味で使われることがほとんどです。そして、そのきっかけは、メディアの影響によるものではないかと考えられています。
1970年代後半から80年代にかけての「不良全盛」と呼ばれていた時代、不良を題材にした作品が注目を浴び、数多くのドラマや映画が製作されました。
その中でもひときわ注目を浴びたのが、きうちかずひろ氏の作品、1983年に「週刊ヤングマガジン」で連載が開始された漫画『ビーバップハイスクール』です。
「いきがってんじゃねぇ」
不良たちの日常を描いた『ビーバップハイスクール』で頻繁に使われたのが「いきがってんじゃねぇ」という台詞でした。時には相手を威嚇するため、また時には相手の弱さを知らしめるために発せられたこの台詞は、当時の若者たちの心をつかみました。
本作以前にも不良を題材にした作品はあり、いつ頃から不良用語として「いきがる」が使われるようになったのか、現時点ではよくわかっていません。
しかし『ビーバップハイスクール』のヒットにより「いきがる=虚勢を張る」の認識が世間に広まったことは間違いないでしょう。