「多少なりとも」とは?意味や使い方をご紹介

「多少なりとも」という言葉をご存知でしょうか。「多」という漢字が含まれますが、実際には「少しでも」「いくらかでも」といった量の少なさや程度の小ささを表わす表現です。今回は、「多少」の意味や特徴などを解説しつつ、「多少なりとも」の用例などもご紹介します。

目次

  1. 「多少」とは
  2. 「多少」の類語表現と特徴
  3. 「多少なりとも」とは
  4. 漢詩に見られる「多少」

「多少」とは

「多少なりとも」を詳しく知るために、まずは「多少」について詳しく解説します。

読み方と意味

「多少」は、「たしょう」と読みます。「ちょっと」「ほんの少し」など数量・程度が小さいことを表わす場合と、「多いことや少ないこと」「多いか少ないか」と量を表わす場合と、2つの意味があります。

用例①

では、使い方について見てみましょう。まずは①の意味で用いる場合です。

  • 修正を加え、多少よくなった気がする。
  • 多少のミスは、大目に見よう。

例文でわかるように、「多少」は「多い」わけではなく「少ない」の方に比重が置かれます。上記の例文では、それぞれ「修正して少しよくなった」「少しのミスなら大目に見る」というニュアンスです。

用例②

次は、②の意味で用いる場合です。

  • 多少に関わらず、配達します。
  • 詐欺の被害者にとっては、金額の多少は問題ではない。

この場合は、「多い」「少ない」の両方を意味を含んでいます。例文では、それぞれ「多くても少なくても配達する」「被害額の多さ・少なさは問題ではない」というニュアンスで使われています。

また、こちらの用例の「多少」は、「量の多さ少なさについては無視する」という文脈でよく使用されます。

「多少」の類語表現と特徴

「多少」の類語表現

「多少」の類語表現としては「少々(しょうしょう)」「若干(じゃっかん)」「いくらか」「ちょっと」「幾分(いくぶん)」といった言葉が挙げられます。どれも、量が少ないときや程度が小さいときに使われます。

【用例】

  1. 肉の下味として、塩を少々振っておきます。
  2. 納期まで、まだ若干の余裕がある。
  3. 中国語とフランス語もいくらかは話せる。

「多少」の特徴

このような類語表現は、基本的に「多少」の単語に置き換えることが可能ですが、注意も必要です。前述の用例ならば、2と3は置き換えOKです。しかし、1に「多少」を置き換えると違和感のある文章になってしまいます。

というのも、「多少」は明確に量が少ない時には用いられないからです。「多少」は、少ないことを漠然と表わす場合に用います。1の例文では、塩の量という具体的な数量を示しているため、「多少」とは言い換えられないので注意してください。

「多少なりとも」とは

「多少なりとも」は、これまでご紹介してきた「少し」「量の多さ・少なさ」という意味を持つ「多少」に、「なりとも」が付いた表現です。

「なりとも」の意味と、「多少」+「なりとも」の意味・用例を見ていきましょう。

「なりとも」の意味

「なりとも」(あるいは「なりと」と表される)は、断定の助動詞「なり」に、逆説の接続助詞「と」が付いた形です。さらに係助詞「も」がつく場合は、どれかひとつに限定せず何事かを列挙できることを示します。

すなわち、「~なりとも」は、「~であっても」「~だけでも」のように、いくつかある選択肢の中から一例を示し、それを消極的ながらも受け入れるという意(最低限の希望)を表します。

また、「なに」「だれ」のように疑問語にできる言葉の下につく場合には、「なんでも」「だれでも」のように、特に条件を限定しない漠然とした例を示します。

【用例】

  • 声なりとを聞かせてほしい(※声以外も聞きたいが、最低限の希望として声という一例を示している)
  • 家臣なりとも許しがたい(※家臣でも、それ以外の例であっても許しがたいという意)
  • 何なりとお申し付けください(※どんな例であろうとも、と相手に選択肢をゆだねている)

「多少なりとも」の意味と用例

「なりとも」は、上記で説明したように「~であっても」「~だけでも」と、自分の最低限の希望を提示する、という意味の言葉でした。

「多少」と「なりとも」を組み合わせることで、「少しでも~」「いくらかでも~」と何らかの量を提示する意図を表すことができます。

提示可能な「多少」がどの程度の量であるか、その場では言明できないものの、少しであっても協力したい、いくらかでもそれに関与させてほしい、といった希望を述べる際に用いるのが適しているでしょう。

【用例】

  • 多少なりともお役に立てれば幸いです。(少しでもお役に立てれば幸いです)
  • 多少なりとも事情を知っていれば、もっと早くフォローできたかもしれない。(いくらかでも事情を知っていれば、もっと早くフォローできたかもしれない)

漢詩に見られる「多少」

春暁

中国唐代に活躍した孟浩然(もうこうねん)という詩人の詩で『春暁』(しゅんぎょう)というものがあります。

春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処啼鳥を聞く(しょしょていちょうをきく)
夜来風雨の声(やらいふうのこえ)
花落つること知る多少(はなおつることしるたしょう)

春暁に含まれる「多少」

この詩の意味は、「春の眠りは心地よく、夜明けにも気づかなかった。鳥のさえずりがあちらこちらから聞こえてくる。昨晩は嵐の吹く音がしたが、花はどれほど散ったことだろう」というものです。

この詩に見られる「多少」には、「おそらく花がたくさん散っただろう」というニュアンスが込められています。

このように、「多少」が「多い」方に比重が置かれていることもありました。ですが、現代で「多少」や「多少なりとも」と言うときは、量や程度の漠然とした「少なさ」を表わしていますので、しっかりと押さえておきましょう。


人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ