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「鳥なき島の蝙蝠」の意味
「鳥なき島の蝙蝠」は、すぐれた人のいないところで、つまらない人間が大きな顔をして幅をきかせている、という意味です。鳥のいない村里や鳥のいない夜間に、蝙蝠がまるで鳥のように我が物顔で飛び回っていることからきた表現です。
蝙蝠とは
蝙蝠は鳥の仲間ではなく、コウモリ目(翼手類)の哺乳類の総称です。哺乳類では唯一自由に空を飛ぶことができることから、よく鳥と比較されます。しかし、その飛翔能力は鳥には遠く及ばないため、にせもの扱いされ、鳥より劣るものとされることが多いようです。
「鳥なき島の蝙蝠」の例文・用例と使い方
「鳥なき島の蝙蝠」の例文
- 東京の大企業に就職し、同期たちの優秀さを目の当たりにし愕然とした。地方の国立大学では、周囲に優秀だと言われいい気になっていたが、私は所詮鳥なき島の蝙蝠だったのだ。
- あの人、初心者ばかりのチームで得意げに能書きたれてたけど、初心者大会初戦で惨敗したんだって。鳥なき島の蝙蝠だね。
「鳥なき島の蝙蝠」の用例
歴史上に「鳥なき島の蝙蝠」と言われた、とされる人物がいます。長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)です。『土佐物語』には以下のような一節があります。
(信長はにっこりとお笑いになり、元親は鳥なき島の蝙蝠であるとおっしゃった)
『土佐物語』巻第十「長宗我部彌三郎實名の事」
元親は四国全土の統一を夢見て戦った土佐の武将です。22歳で迎えた初陣で見事な戦果をあげ、「鬼若子(おにわこ)」と恐れられるようになった人物だと言われています。しかし、信長は四国を「鳥なき島」だと考えたのでしょうか。
この用例や例文の二つ目のように、他者に対して「鳥なき島の蝙蝠」を使うと、その人を見下したり、揶揄したりするニュアンスが生じがちです。使用の際は注意してくださいね。
「鳥なき島の蝙蝠」と「鳥なき里の蝙蝠」
「鳥なき島の蝙蝠」は、平安時代辺りから見られる表現です。鎌倉時代の文学評論『無名草子(むみょうぞうし)』や同じく鎌倉時代の説話『沙石集(しゃせきしゅう)』、室町時代の御伽草子などには「鳥なき島の蝙蝠」と「島」を用いた表現が見られます。
江戸時代になると、仮名草子『尤草紙(もっとものそうし)』に「鳥なき里の蝙蝠」という言い回しが見られるようになり、その後「里」を用いた表現が主流になっていったと考えられています。また、いろはカルタを見てみると、江戸中期の『たとえ五十句かるた』には、人家近くを飛ぶ蝙蝠を写実的に描いた絵柄が採用されており、「鳥なきさとの」という句が書かれています。
「鳥なき島の蝙蝠」の類語
- 鼬(いたち)無き間の貂(てん)誇り
- 貂(てん)なき山に兎(うさぎ)誇る
- 鷹(たか)のない国では雀(すずめ)が鷹をする
「鳥なき島の蝙蝠」の英語表現
- For want of someone wise a fool is set in the chair.(賢者がいないと愚者が議長につく)
- In the country of the blind, the one-eyed is king.(目が見えない人たちの国では、片目の人は王様である)
「鳥なき島の蝙蝠」の諸外国での表現
- 村大樹なければ蓬蒿林をなす(中国)
- 暗い王国では黒ツグミも皇帝らしく見える(ウズベキスタン)
- 魚がいなければザリガニも魚(ポーランド)
「蝙蝠」が含まれる表現
「蝙蝠」は、一方では鳥の仲間のような顔をし、もう一方では獣の仲間のような顔をするという『イソップ物語』の話から、「あいつは蝙蝠だ」のように、どちらともはっきりしない者、あっちについたりこっちについたりする人、という意味で使われることがあります。
そうした「蝙蝠」ですが、「鳥」とともに登場する表現が他にもありますので、いくつかご紹介します。
【蝙蝠も鳥の真似】つまらない者も優れた人の真似をしていれば段々そう見えてくる。
【蝙蝠が雀を笑う】自分の事は棚に上げて人の欠点や間違いをあざ笑う時に使う例え。
【蝙蝠も鳥の人数】つまらない奴もいれば時には多少の効果があるということ。