「弘法も筆の誤り」とは?
「弘法も筆の誤り」は、「こうぼうもふでのあやまり」と読みます。「弘法にも筆の誤り」と書かれることもあります。
「弘法」とは、真言宗の開祖としても知られる平安時代初期の僧、空海のことです。承和(じょうわ・しょうわ)2年(835年)に亡くなったのち、延喜(えんぎ)21年(921年)、醍醐天皇(だいごてんのう)より「弘法大師」の諡号(しごう、貴人・僧侶などに死後に贈られる名前のこと)を贈られています。
書の名人としても知られ、嵯峨天皇(さがてんのう)、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並び、三人の優れた書道家として「三筆(さんぴつ)」と呼ばれています。
「弘法も筆の誤り」とは、書の名人である弘法であっても書き誤ることがある、ということで、どんなにその道に秀でている人であっても、失敗することはある、ということをたとえています。
弘法筆を選ばず
見た目が似ていることわざに、「弘法筆を選ばず」があります。
これは、弘法のような書の名人ならばどんな筆でもじょうずに書ける、ということで、その道の名人ならば道具の良しあしは関係ない、という意味に使われます。したがって、「弘法も筆の誤り」とは違う意味のことわざです。
「弘法も筆の誤り」例文
- 料理じょうずなお母さんが、おせち料理に限って失敗するなんて、「弘法も筆の誤り」だね。
- 英語が得意なあの人が、たまたま英語での道案内ができなかったなんて、「弘法も筆の誤り」だ。
- あの人はそろばんが得意なのに、計算ミスをしてしまったらしい。「弘法も筆の誤り」とも言うからね。
「弘法も筆の誤り」由来
平安時代末期の説話集、『今昔物語集』に、次のような話があります。
門の高い位置に掲げられてしまった額の文字をどう直すのか、周りの人たちは困ってしまいます。すると弘法大師は、打ち忘れた点の位置に筆を投げつけて、見事に点を打ち、文字を直しました。
「弘法も筆の誤り」ということわざは、この話が由来とされています。
「弘法も筆の誤り」類義語
猿も木から落ちる
「さるもきからおちる」と読みます。木登りが得意な猿でも、時には誤って木から落ちることがある。その道の名人でも失敗することがある、というたとえです。
河童の川流れ
「かっぱのかわながれ」と読みます。泳ぎがじょうずな河童でも、川で流されておぼれてしまうことがある。じょうずな人でも失敗することがある、という意味です。
その他の類義語
- 上手の手から水が漏れる(じょうずのてからみずがもれる)
- 千慮の一失(せんりょのいっしつ)
- 釈迦にも経の読み違い(しゃかにもきょうのよみちがい)
- 孔子の倒れ(くじのたおれ)
- 竜馬の躓き(りゅうめのつまづき)
「弘法も筆の誤り」英語での表現
- Even Homer sometimes nods.
Homerは、古代ギリシャの詩人、ホメロスのことです。nodsは、うなずくという意味から、こっくりこっくり居眠りをすることも表します。有名な詩人、ホメロスでさえも、時々は居眠り(失敗)をしてしまうことがある、という意味のことわざです。