「河童の川流れ」とは
「河童の川流れ」とはどんなにその物事が上手な人であっても、たまには失敗してしまう事があるという意味を持つことわざです。
「河童」は川や沼に生息しているとされている空想上の生き物で、全身緑色をしていて頭にお皿がのっている外見をしています。水辺に住んでいる生き物というだけあって泳ぎがとても上手だと言います。そこで「河童の川流れ」が泳ぎが上手な河童でさえ川に流されてしまう事がある、名人でも失敗する事があるという例えになりました。
「河童の川流れ」の使い方
例を挙げると
- 「河童の川流れであの先生でも失敗する事があるんだね」
- 「あまり自信を持ちすぎていると河童の川流れになりかねないので気をつけたほうがいい」
NG使用例
反対に「河童の川流れ」の間違った使われ方も紹介します。「河童の川流れ」という言葉を河童のようにするすると川を泳ぐというイメージから「流暢に事が進む」と言った意味で捉えてしまうと間違いになります。
例を挙げると
「この間の会議はまるで河童の川流れのようにスムーズに終了した」
という風に「河童の川流れ」をすんなりと事が進んだことの例として使ってしまうと誤用になります。
「河童の川流れ」の類語
「河童の川流れ」には似たような意味を持つ言葉が多数存在します。類語をいくつか紹介します。
「弘法も筆の誤り」
「弘法も筆の誤り」は書の名人である弘法大師にも書き損じはあるという意味です。弘法とは真言密教を日本に広めたことで知られる弘法大師、空海のことです。空海は平安時代初期に嵯峨天皇、橘逸勢と並んで「三筆」と呼ばれる書の名人でした。そんな書の名人である弘法でさえ間違う事があることから「弘法も筆の誤り」ということわざが出来ました。
弘法が実際に間違えた字とはなんだったのか。それは「応」です。天皇の命令を受けて門に掲げる額を書くことになった弘法でしたが、書き終えて額を門に掲げてみると「応」の一番上の点を書き忘れていることに気がつきました。そこで弘法は筆を投げて点を打ったと言われています。
「天狗の飛び損ない」
天狗は日本の山の神様の一つとされていて、くちばしを持ち翼が生えていて人と鳥を足したような見た目をしていると言われています。鳥のような姿を持つ天狗ですから飛ぶことは得意ですが、そんな天狗でさえ飛び損なう事があることから「天狗の飛び損ない」と言うことわざができました。架空の生き物を例に挙げている点が「河童の川流れ」と似ています。
「河童の川流れ」の英語表現
「河童の川流れ」を英語で言うと
"The best swimmers are frequently drowned."(どんなに泳ぎが上手い人でも溺れる事がある)
という風に上手い人でも間違う事があるという表現を使えば伝わります。
「河童の川流れ」に近いような表現では、
”Even Homer sometimes nods." ”ホメロスでさえ居眠りをする”
という英語のことわざもあります。「ギリシャの伝説的な詩人、ホメロスでも居眠りをしながら作詞した箇所がある」という意味を持つことわざなので「河童の川流れ」と同じように使う事ができます。
「河童の川流れ」まとめ
いかがでしたか?「河童の川流れ」にはここで紹介した言葉だけでなく「猿も木から落ちる」と言った似たようなことわざがまだまだたくさんあります。合わせて覚えると会話の表現がもっと豊かになりますよ。ぜひ調べてみて下さいね。