「不憫」とは?
「不憫」は、(ふびん)と読みます。不愍という漢字表記も存在しますが、一般的ではありません。「不憫」の意味は下記の二つです。
- かわいがる。目をかけ、やさしく大切にする。
- かわいそうなこと、あわれむべきこと、またそのさま。気の毒に思う気持ちを言動に表す。
1の意味は現代の日本語では使われていません。この記事では2の意味について説明します。
「不憫」の成り立ち
「憫」という漢字の存在が、「不憫」という言葉を書きづらく、読みづらいものにしているのかもしれませんね。まずは、それぞれの漢字について見てみましょう。
「不」は、~でない、~しない、などの意味をもつ打ち消しの助字です。他方、「憫」は、あわれむ、うれえるという意味を表します。打ち消しの「不」を持ちながら、なぜ「不憫」が「あわれまない」という意味にならないのか、不思議ですね。
実は、「不憫」は本来は「不便」(ふびん)と書いていました。便利ではない、という意味の「不便」(ふべん)との混乱をさけるために、憫れむ(あわ-れむ)、という意味の「憫」を「便」の当て字としました。ゆえに、「不」は単なるなごりで、打ち消しの意味はありません。
「不憫」の使い方
よく使う言い回しには、「不憫だ」「不憫に思う」「不憫でならない」などがあります。「不憫」の対象には、人間のみならず、動物全般も含みます。
「不憫」とは、単なる同情をこえる「あわれみ」の感情です。自分は自身を不幸だと思っていないのに、他者からあわれみの気持ちを向けられたら、気分を害する人もいるでしょう。
そのため、「不憫」は相手に対して不用意に使うべきではありません。とくに、目上に対しては使わないように注意しましょう。また、目下や対等の関係性であっても、上から目線にならないような配慮が必要です。
「不憫」の例文
- 老いて捨てられた保護犬はあまりに不憫だった。
- 他者を不憫に思うことで、その人をさらに傷つける場合もあるだろう。
- 家庭の事情で、幼い娘に一人で留守番をさせることが多く、不憫でならなかった。
「不憫」の類語
「不憫」の類語に相当するのは、相手を気の毒に思うさまを表す言葉です。「不憫」の使い方で説明したように、あわれみの気持ちは相手を傷つけることもありますので、使うときには注意が必要です。
「憐憫」
「憐憫」(れんびん)とは、あわれむこと、かわいそうに思うことです。「憐」も「憫」も(あわ-れみ)と読み、その意味をもちます。同じ意味の漢字を重ねて、強いあわれみの気持ちを表現しています。
「憐憫を感じる」「憐憫の情」といった言い回しだけでなく、自分で自分をあわれむことを意味する「自己憐憫」もよく使われる慣用句です。
【例文】
- 就職活動で30社連続で一次面接に落ち続けた友人には、憐憫を感じた。
- いつもお腹をすかせている近所の子供たちに憐憫の情がわき、子供食堂をはじめた。
- なにをやってもうまくいかなかった若いころの自分は、自己憐憫に浸っていた。
「かわいそう」
「かわいそう」には、可哀相、可哀想、可愛そう、可哀そうなどの漢字表記がありますが、すべて当て字です。「かわいそう」の由来は、古語の顔映ゆし(かおはゆし)です。
「顔映ゆし」とは、対象に顔を向けていられない、つまり正視できないほど気の毒だという意味です。そこから派生してきた「かわいそう」は、気の毒で同情の気持ちが起こるさま、ふびんに思えるさまを意味しています。
【例文】
- 自分で自分が大嫌いだという彼女自身を可哀想に思った。
- 迷子になって泣いている子供が可哀想で、交番まで連れて行ってあげた。
「不憫」まとめ
「不憫」もその類語も、直接他者に伝えるのは慎重にしたほうがよいとなれば、相手が悲惨な状況にあるときにどのような言葉をかけたらよいでしょうか。
自身のなかで「不憫」に思うとしても、「お辛さをお察しいたします」「どれほどお悲しみであられることでしょう」などの婉曲な表現、相手に寄り添い共感する言葉を選ぶことも、大きな思いやりかもしれません。