「見做す」の意味
「見做す」(みなす)とは、「あるものを見て、こういうものだと仮定・判定する」もしくは「実際はどうあるかにかかわらず、こういうものだとして扱う」という意味の言葉です。「看做す」とも書きます。
例えば、「どんなものであれ、漫画は悪書である」と考える人がいたとします。その人は、他の人の評価や一般論などに関係なく、「漫画はすべて悪書と見做している」と言うことができます。
また、法律用語としても、「性質が異なる事物について、法律上、同じものとして扱う」という意味で「見做す」という言葉が使われます。
他の意味
「見做す」には、上記の他に「見きわめる、見とどける」「見るようにする」という意味もあるのですが、現代語ではあまり使われていないため、本記事ではこれらの使い方の紹介は割愛します。
「見做す」の使い方
「見做す」は、原則として「(何らかの立場から)AをBと見做す」というかたちで使います。「A」は何らかの対象物(物・概念)であり、それを「Bとして扱う(仮定・判定する)」という文脈です。
基本的な使い方としては、他人から見て「A」がどういう意味であるか(どのような解釈をされるか)にかかわらず、自分(主語となる者)の立場からはそれは「B」と解釈する、という予告や意思表明、あるいは物事の決定です。
物事(言葉も含む)の解釈は常にひと通りとは限りません。人によって解釈が異なってしまうと困る、という対象物を、「自分はこう扱う」と解釈の可能性を絞り切るために使うのが「見做す」です。
例文
- 友人として善意からアドバイスしただけなのに、あれ以降、彼は私を「厄介者」と見做して、冷ややかに対応してくる。
- 勝手に家に入ってきた人間は、泥棒と見做すのが当然だ。
- A国は、B国の軍事演習を敵対行動と見做し、直ちに対抗措置をとった。
- ようやく事件の犯人が捕まったが、被害者は救済されていない。これを「解決」と見做してよいものだろうか?
「見做す」の英語表現
「見做す」の英語表現には、以下のようなものがあります。
- regard A as B…(主に見た目などから)AをBと見做す
- consider A (to be) B…(主に主観的体験として)AをBと見做す
- presume A (to be) B…(事前的な推定として)AをBと見做す
- think of A (as/like) B…(そう考えているというニュアンスで)AをBと見做す
- count A…Aが(仲間などの)数に入っていると見做す
使い分け
いくつか単語がありますが、まずは「regard~」「consider~」を基本形として覚えましょう。「regard」は少々かしこまって「注意深く、そう判定する」と言い切るイメージ、「consider」は「そう考える」という個人的意見や解釈のイメージです。
「presume」は「推定、そう考える」の意であり「(真実はわからないが)一応、見做す」というやや弱いニュアンスです。「think of」はこの中ではもっとも略語的で、「私はそう考えているよ」というニュアンスです。
「count」は、「あなたを仲間としてカウントしている(=仲間と見做している)」のように、「数(頭数)」として数えられるものについて使いましょう。
例文
- We regard that paper as worthless.(我々はあの論文を無価値だと見做している)
- I consider him a genius.(私は彼を天才と見做している)
- I presume him student.(私は彼は学生と見做している)※「学生だと思う(推定)」の意
- I think of you as a best friend(君のことは親友だと見做している)
- I'm counting you as a soldier.(君を戦力として見做しているよ)