「果報は寝て待て」の意味
「果報は寝て待て」という語句の「果報」は「かほう」と読む名詞です。
一般に「果報」は、「果報者」といった言葉があるように「ハッピーなこと、良い知らせ」といった意味にとらえられています。このため「果報は寝て待て」も、「寝転んでのんびり待ってさえいれば、良い知らせが自然と飛び込んでくるよ」といった、随分と「受け身」な、のんきな意味合いの表現に感じられます。
しかし実際の意味はそうではありません。この慣用的な語句は、次項でご説明するように、そもそもは仏教用語から由来しています。
本来の意味は「幸福や不幸の訪れは、人間の力ではどうすることもできないものである。人事を尽くした後は、いたずらにじたばたすることなく、静かに時を待つしかない」といったものです。決して「怠けてだらだらしていれば、それで良い」という趣旨ではありません。
「果報は寝て待て」の由来
前述したように、「果報は寝て待て」は元来は仏教の言葉から成り立っています。「果報」という言葉は、本来は仏教用語であり「前世での行いの結果として、現世で受ける報い」を示しています。
「因果応報」という四字熟語がありますが、これも「果報」にまつわる仏教の思想の一つです。「前世や過去の善悪の行いが、報いの形で現世や今にも善悪の結果としてもたらされる」といった意味合いです。万物の生が輪廻していくという仏教の考え方では、この世に現れる善悪の出来事もすべて前世の行いとつながっている、と考えるためです。
このように「果報」は「善悪双方の報い」というのが本来の意味ですが、これが転じて「よい運に恵まれて幸福なこと」として一般化しているわけです。「果報は寝て待て」も、そもそもは「結果の良し悪しは人が左右できるものではない。やるべき努力を尽くした後は、焦らずじっくり待っているのがよい」という、人の心構えを諭した表現だといえます。
「果報は寝て待て」の使い方
「果報は寝て待て」は、これまでご説明したように、一般的な印象である「のんびり過ごしていればそのうち良いニュースがあるよ」といった能天気な慣用句ではありません。
むしろ「やるべきことをやったあとは、慌てず騒がず、心静かに結果を待つべきだ」といったように、仮に結果が成功であっても失敗であっても、動揺することなく、その事実を受け止める姿勢の大切さを説いた言葉だといえます。
日常の文章などで使用する際は、こうした正しい意味合いを踏まえて用いることが大事です。「今日は宝くじの当選発表の日だ。果報は寝て待てだから、しばらく昼寝するよ」といった用法は誤用となりますので、注意が必要です。また「果報」の「良いこと」という意味と混同して「家宝は寝て待て」と書くのも間違いとなります。
「果報は寝て待て」の例文
「果報は寝て待て」の例文としては、次のようなものが挙げられます。
- これまで十分努力してきたのだから、きっと大丈夫だよ。果報は寝て待てというから、心静かに合格発表の日を待とう。
- 厳しい練習は必ず報われる。今更焦っても仕方ない。心を落ち着けて試合でベストを尽くせば結果はついてくる。果報は寝て待て、だ。
「果報は寝て待て」の類語や対義語
「果報は寝て待て」の類語には、次のようなものがあります。
- 待てば海路の日和あり(今は海が荒れていても、待っていれば出航にふさわしい日がくる)
- 待てば甘露の日和あり(今は状況が悪くとも、待っていればいずれ改善するだろう)
- 人事を尽くして天命を待つ(できうる努力をすべて行ったので、結果は天の意志にゆだねるだけだ)
一方、「果報は寝て待て」の対義語としては次のようなものが挙げられます。
- まかぬ種は生えぬ(何か行動を起こしたり努力せねば、良い結果は得られない)
- 打たぬ鐘は鳴らぬ(同上)
- 泣きっ面に蜂(泣いている顔が蜂に刺される。不幸に不運が重なることの例え)
「果報は寝て待て」の英語表現
「果報は寝て待て」の英語表現には次のような例文があります。
- Everything comes to him who waits.(万事は待つ人のもとへ訪れる)
- Good things come to those who waits. (良いことは待っている人の所へ来る)
- Misfortunes seldom come singly. (災いはひとりでは来ない)