「先見の目」は誤り
はじめに、「先見の目」は誤りで、正しくは「先見の明」です。しかし近年、「先見の目」を用いている場面に出会うことも少なくありません。
そのように誤用される理由として、読み方が関係していることが考えられます。「先見の明」は、「せんけんのめい」と読みますが、「目(め)」と「明(めい)」の音の響きはとてもよく似ているために間違われるようです。また、「せんけんのみょう」と読むのも間違いです。
- 【誤】先見の目(せんけんのめ)
- 【誤】先見の明(せんけんのみょう)
- 【正】先見の明(せんけんのめい)
「先見の明」とは
将来のことを前もって見抜く力や、それに伴う行動力や判断力を「先見の明」と言います。「明」とは、物事を見通す力や見分ける力のことです。
しかし、将来を見抜くといっても、結果は将来になってみないとわかりません。つまり、「先見の明」のあるなしは、現時点では判断できないのです。「先見の明」という言葉が使われるのは、その人の過去の提案や行動に対する評価ということになります。
なお、「先見の明」は、良い結果を招いた時に使われることが多い言葉です。特にビジネスシーンでは、鋭い洞察力と優れた行動力をもって成功をおさめた人に対し、称賛の言葉として使われています。
「先見の明」の例文
- これほどまでにも高い評価を受けるとは、無名の彼を主役に抜擢した監督に先見の明があったということか。
- 数多くのアイドルを輩出しエンターテインメント界に大きな功績を残したジャニー喜多川氏は、先見の明に優れた代表的な人物の一人だ。
- この土地の価格がここまで上昇するとは、30年前に購入を決めた父さんは先見の明に長けていたんだね。
- 経営陣の優れた先見の明により日頃からテレワークを実践してきたおかげで、世の中が混乱に見舞われても私たちは安心して仕事ができている。
「先見の明」の由来
「先見の明」は、中国の故事に由来します。中国後漢末期から活動した、政治家であり学者でもある楊彪(ヨウヒョウ)の言葉として『後漢書』に残されているのが「先見之明」です。
楊彪の言った「先見之明」も、現代語と同じく「将来を見通す力」を意味していたことに間違いありません。しかし、この言葉が生まれた背景には、親子の悲しい物語がありました。
「先見の明」が生まれた背景
楊彪の子・楊修(ヨウシュウ)は、後漢末期の武将・曹操(ソウソウ)に仕えていました。しかし、ある時、楊修は曹操の不興を買い処刑されます。後日、曹操と面会した楊彪はやせ細っていたため、曹操はその姿を見て驚き理由をたずねたところ、楊彪は以下のように答えました。
訳:お恥ずかしいことに私には金日磾のような先見の明もなく、老牛が子牛をなめ可愛がるように溺愛するばかりでした。『後漢書(楊彪伝)』
それが楊彪のいう「先見之明」です。「金日磾のような先読みができず、ご迷惑をおかけしました」と語る楊彪の姿に、曹操は心を入れかえたということです。
金日磾とは
金日磾(キンジツテイ)は、前漢の政治家です。金日磾の二人の子は武帝に大変可愛がられていましたが、成長するにつれて慎みを忘れ、宮女をたぶらかすようになりました。それを知った金日磾は、このままではいずれ武帝に迷惑をかけることになると、自ら子を殺めてしまうのです。