「げに」の意味
辞書を紐解くと、「げに」とは「現実の事態を目の当たりにして、『まさに○○の言ったとおりだ』と納得したり、強く共感する気持ち」のことである、と書かれています。
ちょっとわかりづらいですが、同義語として「まことに」「いかにも」「なるほど」があげられています。これらの言葉と同じ意味と考えてよいでしょう。
「げに」は漢字で書くと「実に」となります。「実に」を「じつに」と読む場合は、「実に興味深い」「実に残念だ」といった形でなじみがあるのではないでしょうか。基本的には、「実に」を「げに」と読んでも、「じつに」と読んでも、意味は変わりません。
「げに」の例文
- げに嘆かわしい。
- げにめでたいことだ。
- げに芸術的な料理である。
- 「げに」という言葉を使う人はげに少ない。
「げに」の意味は結局どれ?
「げに」と類義語として、「まことに」「いかにも」「なるほど」「実に(じつに)」をあげましたが、このうち一番「げに」に近い意味の言葉はどれなのでしょうか。
「いかにも」は「まことに」「実に」と同じような意味がある一方、「あたかも」「さも」といった言葉の意味も持ちます。しかし、「げに」には「あたかも」「さも」といった意味はありません。
また、「なるほど」は「実際に見てみるとなるほど○○だ」と、文の中で使う時には「実に(げに)」に近い意味になりますが、単に「なるほどなぁ」という時には「実に(げに)」とは違う意味になります。
このように見ていくと、やはり「実に(げに)」の意味に一番近いのは、「まことに」「実に(じつに)」といった言葉であることがわかります。
「げに」の語源
「げに」は「現に」が変化したものだと言われています。「現に」は「実際に」という意味の言葉です。
「げに」は土佐弁?
「げに」は土佐弁、すなわち、高知県の方言としても使われています。かの坂本龍馬が使っていた言葉です。
土佐弁としての「げに」の意味は、これまで見てきた意味と同じです。また、土佐弁には「げにまっこと」という言葉もあります。「げに」も「まこと」も同じ意味ですので、同じ意味の言葉を重ねることで、より強調する意味になります。
「げに」が登場する作品
蜻蛉日記
「蜻蛉日記」は平安時代の女流作家、藤原道綱母によって書かれた日記です。この中に、藤原兼家の和歌として「げにやげに冬の夜ならぬ槙の戸も遅くあくるはわびしかりけり」というものがあります。
この和歌の意味は、「まこと本当に、冬の夜でもないのに槙の戸がなかなか開かないのはつらいものだなあ」となります。「げにやげに」の部分が「まこと本当に」にあたります。
「げにやげに」と「げに」を繰り返すことで、「げに」の意味をより強調した形となり、土佐弁の「実にまっこと」と同じ働きをしています。
花
音楽の教科書にも載っている滝廉太郎が作曲し、武島羽衣が作詞した歌「花」。タイトルを見てぴんと来なくても「春のうららの隅田川」という出だしを聞けば「ああ、あの歌か」とわかる人も多いでしょう。
この歌の三番の歌詞に「げに一刻も千金のながめを何にたとうべき」という部分があります。意味は「本当にわずかな時間でも千金に値するこの季節(春)の夜、今のこの眺めを何に例えるべきだろう」となります。
ここでの「げに」は「一刻も千金」を強調しています。「一刻も千金」は、中国の古典文学中の言葉「春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)」に由来する言葉で、今風に言えば「百万ドルの夜景」のような感じです。
源氏物語
日本を代表する古典文学である「源氏物語」の中でも「げに」は使われています。 「またゐたる大人、『げに』とうち泣きて」 という形で出てきます。意味は「もう一人座っていた女性が「本当に、まあ」と、ふっと泣き出して」となります。
ここでは「げに」を単体で使っています。今ではこのような言い方はしませんが、平安時代には普通に使われていたのかもしれません。
「げに」まとめ
「げに」は現代文よりもむしろ古典文学で使われることの多い言葉です。「げに」という単語を知っていても、現代の会話では使う機会もないでしょうが、古典文学を楽しむうえでは、知っておいて「げに」損のない言葉です。